NHKの連続テレビ小説「おかえりモネ」が、10月29日の最終回まで残りわずかとなった。
宮城・気仙沼の島出身のヒロイン・永浦百音(清原果耶)は、2011年3月11日の震災発生時、島を離れていた。家族や友人が津波に襲われたが、自分はその場にいなかったことで、罪悪感を抱えて生きている。
高校卒業と同時に島を離れ、気象予報士として東京で働いていた。やがて、故郷の人たちのために役立ちたいとの思いが強くなり、地元に戻って、気象の仕事を続けている。
東日本大震災以降、「当事者/非当事者」というテーマが取り上げられる機会が増えた。「非当事者」である自分に何ができるのか、10年たった今も悩む人は少なくない。
被災地の「痛み」とどのように向き合い、作品にどんな思いを込めたのか。脚本を書いた安達奈緒子さんが、朝日新聞の書面インタビューに答えた。
震災の痛み「人によっても土地によっても違う」
――「おかえりモネ」で震災を描くと決まった時、何を大事にして脚本を書かれようと思われたのでしょうか。
すべてを書き終えた今ですら、この質問に対して、どう自分の言葉にすればよいかわかりません。
その土地にうかがって、いろいろな立場の方からお話を聞かせていただきました。残された建物や記録にも多く触れたつもりです。でもわたしが獲得できる感覚は「想像」でしかない。震災は現実に起きたことであり、そこに暮らす方々の生活を一変させ、そしてどんなに近しい関係にあっても、人によっても土地によっても、受けた影響や抱える痛みがまったく違う。
この「事実」を「想像」によって物語に変容させることは、そもそも許されるのだろうか。おそらく震災について何かを表現しようとなさるすべての方がこの問題に直面し、それぞれにお考えになるのだろうと思います。その上で、わたしがわたしの感覚で得た、おそらくこれはまちがいないと思えた、ただ一つのことは、「その人の痛みは、その人にしか絶対にわからない」ということだけでした。あまりに単純な思考ですが、ここを拠(よ)り所にしていくしか方法がない、と考えました。
存在感を増した「当事者」という言葉
――安達さんは、今回脚本を書くにあたって、当事者性について、どのようなことを考えられたのでしょうか。菅波光太朗(坂口健太郎)が百音に「あなたの痛みは僕にはわかりません。でも、わかりたいと思っています」と告白した場面が、印象的でした。
「当事者」という言葉が、あ…
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- 【視点】
「おかえりモネ」が毎回楽しみです。 空や海、森、人の営み、毎日の生活。地球上で起きている現象はつながっているということを、子どもでも自然に記憶にきざめるストーリーにはいつも「なるほど、そう描くのか」と感心しながら見ています。 さらに、や
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