「もっと生きてて、いい芸になりたい」 柳家小三治さんが残した言葉

石田祐樹
[PR]

 10月7日に亡くなった柳家小三治さんは生前、朝日新聞のインタビューなどで、さまざまな言葉を残しました。その言葉で、小三治さんの人生を振り返ります。

 ◆昔と違って、死はこわいと思わなくなりました。もっと生きてて、いい芸になりたい、っていうのはありましたよ。いつまでって終わりはないものだけれど、今日よりは明日、明日よりはあさって、っていう思いだけは強くありました。(2017年8月、頸椎〈けいつい〉の手術を受ける前に)

 ◆私は5人きょうだいの下から2番目で、男1人です。期待して期待して、やっとできた男の子だったんでしょう。末は陸軍大臣だ、総理大臣だって思い描いてたんじゃないですか。とても迷惑しました。「こんな程度でいいんだよ」って言われてれば「それじゃ、おれが物足りない」ってなったかもしれない。親の言うことを聞いて、それに近づこうなんて全然思わなかった。反発に次ぐ反発。それでご覧ください。こんなになってしまいました(笑い)。(両親について)

 ◆貧者の、貧者でなければわからない強みですよ。食い物であれ、色気であれ、貧しいものを満たす、っていうのが落語の根底にはある。ぴったりな時代に出くわして、もう、好きになるよりしょうがなかったんじゃないですか。(中学3年のとき、落語と出あったときの思い)

 ◆(高校3年のときに出た)「しろうと寄席」の審査員には、のちに師匠になる(柳家)小さんもいた。あるとき、楽屋で二人きりになったんです。小さんは何も話しかけず、壁の一点をじーっと見てる。その目がすごく澄んでいた。それを見て、ほれたんですねえ。

 ◆(初めて小さん師匠に稽古をつけてもらったとき、)師匠は腕を組んで、下を向いて聞いていた。終わると、ふっと頭を上げて「お前のはなしはおもしろくねえな」って言って、すっと立ち上がって床屋へ行っちゃった。「師匠! どこがいけないんでしょうか」なんて言える雰囲気じゃない。一刀のもとに斬り捨てられ、全身に電極をビリビリってやられた感じでした。

 ◆いずれ(古今亭)志ん朝さんが落語協会の会長になって、私が副会長として補佐しようと考えてました。世間からも、落語協会の中でも「落語っていいもんだねえ」ってことをしみじみ知ってもらいたい。それがわかれば、きちんとした体系が出来るんじゃないかって。何か「芯」になるモデルがあるから「個性」って言えるんで、今みたいにただバラバラだと、みんなゴミになっちゃうんじゃないか。

 ◆人間は大人になったって、子どものままごととおんなじだ、それをただ繰り返して生きてくだけだっていうことでしょうか。(十八番のひとつ「青菜」について)

 ◆私は職人が好きなんですね。職人は自分がどうすればいいか、どうしたらいいかをちゃんと頭に持ってるでしょう? 抽象的、一般的じゃなくて、具体的、自分にとって、というところがある。こうやっておけば世の中は通用するとかみんなが感心するとか、そんなことじゃなくて、自分はどうしたいか。そこなんだね。(著書『どこからお話ししましょうか 柳家小三治自伝』から)(石田祐樹)