「試合相手は高め合う仲間」 10段の醍醐敏郎さんが歩んだ柔の道

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竹園隆浩

 柔道の事実上の最高位、10段に上り詰めた醍醐敏郎さんは、選手としても指導者としても、柔道の本家「講道館」の看板を背負い、王道を歩んだ。まさに「ミスター講道館」と呼ばれるにふさわしい存在だった。

 戦後の復興期、テレビがお茶の間で普及するまでは、ニュース映画が打ちひしがれた日本国民を元気づけていた。醍醐さんは指導員として講道館に住み込みながら全日本選手権で優勝。ニュース映画の世界では、日本人初のプロボクシング世界王者、故白井義男さんらと並ぶスターだった。

 その名を世界に知らしめたのが、25歳の時に講道館第3代館長嘉納履正さんに随行した海外渡航だ。1951年11月から約4カ月。国際柔道連盟の前身、世界柔道連盟設立に向けてフランス、イギリスなどの欧州とカナダ、アメリカの計8カ国を回った。各地で大会に特別参加し、10人の選手と連続で対戦する10人掛けを披露。ロンドンでは次々と相手を投げ飛ばし、最終的には13人も相手にしたという。

 その戦いぶりは、誰もが参考…

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