追放される党職員…記者が見たソ連崩壊 「20世紀最大の惨事」とは

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モスクワ=喜田尚
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 その石碑は、クレムリンからまっすぐ西に延びる大通りが首都モスクワの大動脈の環状道路と交差する陸橋の上に立つ。

 1991年の8月、当時のソ連共産党の保守強硬派がペレストロイカ(改革)を進めるゴルバチョフ大統領を休暇先に監禁し、クーデターを起こした。その最中、クーデター部隊の装甲車を止めようとして交差点の陸橋下で命を落とした22~37歳の市民3人を顕彰する石碑だ。当時3人は「自由と民主主義を守った英雄」として扱われ、クーデター失敗直後に現場で大規模な追悼集会が開かれた。

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 30年がたった今、通行人が人の背丈を超えるこの石碑に注意を向けることはほとんどない。レストラン、ショッピング街が近いのに、石碑の存在にすら気づかない若者も多い。

 当時、保守強硬派がクーデターを起こしたのは、目前に迫った連邦制度を一新する条約調印を阻止するためだった。しかし、急進改革派のボリス・エリツィン氏(後にロシア初代大統領)らがロシア共和国の庁舎に籠城(ろうじょう)。多くの市民がバリケードに集まって抵抗した。陸橋下のトンネルでの衝突は3日目の8月21日未明。クーデターはその日のうちに失敗に追い込まれた。

 すでに朝日新聞記者だった私は翌日モスクワに着いた。人々の勝利の大集会が開かれ、抑圧の象徴だった国家保安委員会(KGB)本部前の巨大な治安機関創設者の像はクレーンでつるし上げられ、大群衆が歓声を上げた。

 最も驚いたのは、クーデター失敗から3日もたたないうちにソ連共産党の解散が決まったことだ。世界は米国とソ連を中心とする東西二つの陣営に分かれ、ソ連を支配する共産党は東の総本山というすり込みが頭を離れない時代。私は、党中央本部の建物から警官にせかされて職員らが出ていくのを呆然(ぼうぜん)と見送るしかなかった。目の前で歴史の歯車が、音を立てて回り始めたのを感じた。

 ソ連が正式に崩壊したのはそ…

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