将棋は「限界」決めつけた 大学やめて10年後、世界一取ったゲーム

有料会員記事

寺下真理加
写真・図版
赤坂道場の廊下でバックギャモンボードを広げる望月正行さん。「不思議の世界の扉」をイメージした撮影に応えてもらった=東京都港区、井手さゆり撮影
[PR]

 ボードゲームの「バックギャモン」を知っていますか。囲碁将棋ほどルールが難しくなく、世界中にプレーヤーがいて、しかも日本は「強豪国」。世界の頂点に立つプロのカリスマプレーヤー・望月正行さん(42)とはどんな人物なのか、取材しました。後半のインタビューでは、プロの草分けとして、バックギャモンとともに歩んできた半生を振り返ってもらいます。

写真・図版
望月正行さんの愛称が刻まれたバックギャモンボード=東京都港区、井手さゆり撮影

 二つのサイコロを振り、対戦者同士がそれぞれのゴールへ、すごろくのように15個のコマを進める――。数千年前から原型が存在し、20世紀の米国で完成したボードゲーム、バックギャモン。チェス、トランプ、ドミノと並んで世界4大ゲームの一つとされ、世界の競技人口は推定3億人とも言われています。Mochy(モッチー)こと望月さんは、その頂点に立つ人物です。

 世界のプレーヤーの格付け「バックギャモン・ジャイアンツ」の1位を守り続け、試合はもちろん、レッスンや試合解説の依頼も絶えません。年間10カ国余を訪れ、数百万円の賞金がかかった大会を制覇。コロナ禍ではオンラインも活用してきました。

世界中から「モッチー、おめでとう」

 今夏、モナコのモンテカルロに渡り、世界選手権で2009年以来、12年ぶり2度目の優勝を飾りました。約20カ国から100人余が参加。試合はインターネットで中継され、優勝を決めた瞬間、世界中から「モッチー、おめでとう」「今年はジャパンイヤーだ」などと快挙をたたえる声が寄せられました。その半年前、ネット上で競う団体戦でも、日本はモッチー不在の5人組で8年ぶり2度目の優勝を飾るなど、選手層の厚さを見せつけたばかりだったのです。

写真・図版
モナコの世界選手権会場で、最終決戦の相手、スイスのカルロス・エステンソロさん(右)と握手を交わす望月正行さん (C)滝沢望

 モナコでは、ユーチューブで自身の動画も配信しました。世界中のファンに向けて英語で話します。プレーヤーたちとの再会を喜び、大会主催者からコロナ対策について話を聞き、現地の友人のフェラーリを運転して風光明媚(めいび)なモナコを紹介――。タイトな試合日程の合間に、時間も体力も使って、なぜそこまで?

 「二つのサイコロの目によっては、初心者でも、強い人に勝てる。バックギャモンは、間口の広いマインドスポーツ。だけど、奥深くまで突き詰めることもできる。日本でも海外でも、この面白い世界の扉をもっと多くの人に知ってもらいたいんです」

写真・図版
バックギャモンの例会に参加した人に手を振って声をかける望月正行さん=東京都港区、井手さゆり撮影

 「世界一」からひと月後。東京・赤坂の道場で、仲間たちと和やかに試合を楽しむ望月さんの姿が。一般財団法人「日本バックギャモン協会」の代表理事として、国内でも普及活動の先頭に立っています。

実力だけでない、人間性への敬意

 「最初はただ楽しんでいた。でもある時、悲惨な負け方をして悔しさが芽生え、僕の中で勝つことへのこだわりが大きくなっていった」と振り返ります。

 麻布中学・高校時代は将棋部でしたが、「自分自身の限界」を感じていたと言います。浪人時代にバックギャモンと出会い、やがて「日本から世界を取りに行こう」と真顔で語り、普及活動に汗を流す矯正歯科医の下平憲治さん(59)と知り合いました。代表として、その立ち上げ期から日本バックギャモン協会を支えてきた下平さんはこう語ります。「『極東』だった日本は今や尊敬の対象ですが、その理由は実力だけではない。望月をはじめとする世界で活躍するプロたちの人柄、人間性への敬意なのです」

写真・図版
望月正行さんのボード。東日本大震災のチャリティーマッチにちなんだ特製品だ。中央には「友」という文字と、愛称の「Mochy」が刻まれている=東京都港区、井手さゆり撮影

〔望月さんとの一問一答〕

 ――プロのプレーヤーになった経緯は?

 1997年ごろ、国内の例会に初めて挑んで、1勝5敗で惨敗しました。勝ちたくて、アルバイト中もバックギャモンのことを考えるようになった。入学した早稲田大学にバックギャモンのサークルがなく東京大学にあったので、そこで切磋琢磨(せっ・さ・たく・ま)し、プロポーカープレーヤーの木原直哉さん、将棋の片上大輔さんとも知り合いました。

 バックギャモンのプロという職業自体、前例がなかった。レッスンも資格もテストもない。お給料をくれる組織もない。キャリアとして選んだというより、バックギャモンをする時間を最大限に増やしたい一心で、大学も中退して、賞金のあるゲームを探し、稼いでは渡航、稼いでは渡航、という綱渡り状態に踏み込んでいきました。

 ――ご両親は、プロになることについて、どのような受け止めを。

 衝撃的だったと思います。父…

この記事は有料会員記事です。残り2995文字有料会員になると続きをお読みいただけます。