拉致問題 一番期待した政権だった 井上克美さんの兄

堤恭太
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 2002年10月15日、羽田空港北朝鮮に拉致された5人が、着陸した特別機のタラップを降りる。拉致被害者帰国に尽力した当時の官房副長官、安倍晋三氏の姿もあった。

 警察庁が拉致の可能性を排除できないとした特定失踪者のひとり、井上克美(かつよし)さん(71)の兄・一男さん(74)は、その光景を覚えている。

 安倍氏は06年に首相になった。

 「この人なら解決してくれる」

 期待は大きかった。

 1年務めた第1次政権では拉致問題の担当相を設けたが、目に見える進展はなく退陣。拉致問題を「日本にとって最優先課題だ」と訴え、12年に再び首相に返り咲いた。

 克美さんは3人兄弟の次男として前橋市で生まれ、電気工事会社に勤め、埼玉県川口市で暮らしていた。

 1971年12月29日。会社の忘年会のあと、帰宅途中に行方がわからなくなった。21歳だった。当時、仕事は順調で結婚したばかり。もうすぐ子どもが生まれる予定だった。

 母のイトノさんと一男さんが途方に暮れていたとき、中学1年生で拉致された横田めぐみさんの父・滋さんと、母・早紀江さんの講演が地元の前橋であった。参加した2人は特定失踪者問題調査会と連絡をとり、解決を求める集会や署名運動に加わり、活動を続ける。

 北朝鮮による弾道ミサイル発射核実験を受け、当時の安倍首相は北朝鮮への「最大限の圧力」を唱えるも、2018年6月に米国と北朝鮮の史上初の首脳会談が実施されると、無条件の対話の呼びかけに転じた。

 解決の糸口も見いだされないなか、昨年6月に横田滋さんが老衰で87歳で亡くなった。「息子にもう一度会いたい」と願い続けたイトノさんも昨年8月6日、息を引き取った。96歳だった。一男さんは「母は克美が帰ってきてもわかるようにと、傷んだ築70年の家に住み続けて待っていた」と無念そうに話した。

 昨年10月、一男さんは国会議事堂近くの議員会館前に立っていた。雨が降りしきるなか、ほかの拉致被害者や特定失踪者の家族らとともにマイクを持ち、安倍政権を引き継いだ菅義偉政権や国会議員に訴えた。

 「とにかく政府には行動を起こして欲しい」

 菅首相も就任時は「特に拉致問題の解決に全力を傾ける」と述べたものの、安倍政権と同様、解決にはつなげられなかった。

 一男さんは「結局、何も進展しなかった。克美も私たちも、このまま消えていくのを待つだけなのか」と言った。(堤恭太)

拉致問題をめぐる主な動き

2013年

自民党の安倍晋三氏が首相に返り咲いた初の所信表明演説で「すべての拉致被害者の家族が自身の手で肉親を抱きしめる日が訪れるまで私の使命は終わらない」と訴える

14年

・北朝鮮との間で拉致被害者らの再調査を約束するストックホルム合意が締結。安倍政権は対北制裁を緩和

16年

・交渉が行き詰まり、北朝鮮は調査担当の特別調査委員会解体を宣言

18年

米朝首脳会談で当時のトランプ大統領に依頼して拉致問題提起

19年

・安倍首相が北朝鮮の金正恩氏との首脳会談について、条件をつけずに実現をめざす方針を表明

20年

・安倍首相が退陣の記者会見で「拉致問題をこの手で解決できなかったことは痛恨の極み」と発言