第2回途絶えたパイプ、遠のく拉致問題解決 「裏ルート」なき交渉の行方は

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ソウル=鈴木拓也
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■日朝秘密交渉を追う(下)

 行き詰まる拉致問題を動かす突破口になると期待されたのが、日朝の秘密交渉の末に2014年5月に結ばれたストックホルム合意だった。その陰には日本外務省と極秘接触を続けた北朝鮮の「キム」の存在があった。しかし、当時の安倍晋三首相が期待した成果は得られず、キム氏という独自のパイプも失われた。米トランプ政権下での米朝接近という激変のなか、安倍政権北朝鮮に接触を試みることになる。

安倍首相(当時)の指示で始まった交渉

 02年の日朝首脳会談以来、目立った進展がなかった拉致問題の解決に向けた動きが始まったのは、第2次安倍政権が発足して半年が経った13年夏のことだった。

 拉致被害者である横田めぐみさんの両親と、めぐみさんの娘で平壌に住むキム・ウンギョンさんとの面会が実現すれば、停滞する北朝鮮との交渉にも弾みがつくかもしれない――。日本政府や情報機関の複数の関係者によると、そんな極秘プランの検討が日本外務省内のごく一部で始まった。

 外務省はまず、横田滋さんと早紀江さん夫妻に、ウンギョンさんと面会する意思があることを確認した。その上で、斎木昭隆外務事務次官(当時)が首相官邸で安倍氏に提案した。「もしうまくいけば、拉致問題の解決に向けた本格交渉の再開につながります」。安倍氏は「うん、わかった。それで進めてほしい」とゴーサインを出したという。

 日本政府の元高官や情報機関の関係者らによると、日朝の秘密交渉が本格化したのは、13年の早秋だった。日本側で担当したのは当時の伊原純一・アジア大洋州局長と小野啓一・北東アジア課長。北朝鮮側は秘密警察・国家安全保衛部(現・国家保衛省)の「参事」を名乗った。北朝鮮在外公館がある中国やベトナムなどで行われた交渉には、00年ごろから日本側との連絡役を担ってきた保衛部のキム氏も課長の肩書で同席したという。

 横田さん夫妻とウンギョンさんの面会は14年3月にモンゴルの首都ウランバートルで実現した。この面会を契機に日朝交渉は加速し、14年5月のストックホルム合意に至る。北朝鮮拉致被害者も含めたすべての日本人について全面的な調査を実施すると約束した。同年7月には北朝鮮で特別調査委員会の設置が確認され、日本は制裁の一部解除で応じた。

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