あの日、幼稚園バスを襲った悲劇 園児ら9人を失った園長が語る

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福岡龍一郎
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 雨がみぞれに変わり、冷え込みが増した時だった。あの日、園庭で保護者の迎えを待っていた園児たちが暖をとろうとバスに乗り込んだところ、津波に襲われた。災害への備えが不十分なまま、命が失われた。その後悔を抱え、歩み続ける幼稚園がある。

 「決してお手本となる話ではありません」。昨年1月、津市であった幼稚園教諭向けの研修会。講師として招かれた宮城県山元町の私立ふじ幼稚園の鈴木信子園長(63)は、約100人を前にこう切り出した。

 同園は東日本大震災の津波で園児8人と職員1人が犠牲になった。「津波への意識が足りず、子どもたちを守れなかった。私たちと同じ悲劇に遭わないで欲しい」と訴える。

 当時、園は海岸から約1・6キロの閑静な住宅地にあった。園児たちは、朝に卒園式の練習をし、昼には園庭のユズでつくったお茶を楽しんだ。降園の時間になり、園児たちはバスで次々と家路につく。まだ約50人が園庭を走り回り、お絵かきをして遊んでいた。

 2011年3月11日午後2時46分、町内で最大震度6強を記録する大きな揺れに見舞われた。

 「きゃー!」。園児たちが叫び、泣き出した。教諭たちがなだめながら、園庭に敷いたブルーシートの上にクラスごとに座らせた。

 防災担当の教諭の鈴木ふじえさん(59)が園児の一部を家に送り届け、園に戻ってきたのは午後3時10分ごろ。余震が続き、道路には屋根瓦やブロックなど障害物が散乱していた。すぐ次のバスを出せそうにはなく、園舎も倒壊の恐れがある。しばらく園庭で様子を見ることにした。

 地震発生の3分後、実は町内に大津波警報が出ていた。だが、近くの防災無線は音が聞こえず、停電でテレビも映らない。迫り来る危険に気づく人は、園内にいなかった。

 迎えに来た保護者の対応に追われるうち、降り出した雨がみぞれに変わった。寒さをしのごうと、園児たちを大小のバス2台に乗せた。その直後の午後3時55分ごろ――。

 園舎の工事に来ていた大工の…

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