ワクチン接種の緩やかな「奨励」政策 必要な「憲法的な制御」とは

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コラム「憲法季評」 法哲学者・松尾陽さん

 「バイクに乗るときにヘルメットを着用することを義務付けることはできるか」。法の背後にある基本原理を学生と共に考える際に、よく扱われる問題の一つである。バイクのライダーにとって致命傷につながりやすいのは頭部への強い打撲であり、ヘルメットの着用はその衝撃を和らげ、重傷化リスクを下げる。

 当人の利益を守るために、当人の意志に反してでも、何かを義務付けることは「パターナリズム」と呼ばれる。いわばおせっかいであり、原則として日本国憲法が立脚するリベラリズムの基本原理に反するとされている。

 その原理は、個人は自分自身の領域については主権者であるというものである。19世紀の思想家ジョン・スチュアート・ミルは、この原理に依拠しつつ、当人の意志に反して、強制力を行使する正当な理由は、他者に対する危害の防止のみであると定式化した。これは「他者危害原理」と呼ばれ、日本国憲法の「公共の福祉」論の中にもその精神は息づいており、個人の自由を守るための防衛ラインとなっている。

 もっとも、ヘルメット未着用は、他者に危害をもたらさないわけではない。未着用によってライダーが死亡すれば、その家族は精神的ショックを受ける。死亡せずとも家族に大きな介護負担を課すかもしれない。事故の相手方がいる場合、相手方に多額の賠償責任を負わせるかもしれない(過失相殺されることもあるが、多額となることは予想される)。医療システムにもより大きな負担を課すだろう。

 何かの義務付けを正当化する際に、他者危害の有無や程度から考えることは、リベラルな思考枠組みである。もちろん、義務化することによって危害が防止されるのかを科学的に検証し、評価することも必要である。他者危害原理という抽象的な原理の考察だけで、具体的な結論が直ちに導かれるわけではないことにも注意を要する。

 さて、この思考枠組みは、ワクチン接種の義務化の是非をめぐる議論の出発点となる。そして、ヘルメット未着用の場合以上に考慮しなければならない要素は多くあるだろう。

 ワクチンが重症化リスクをど…

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