「おちょやん」にも登場 喜劇の祖の名39年ぶりに継承 松竹新喜劇

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向井大輔
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 笑いと涙の「松竹新喜劇」が、新たなステージへ突入する。若手の劇団員3人が、喜劇の祖とも言われる「曽我廼家(そがのや)」の名を継ぐことになったのだ。39年ぶりの一大事。若い世代で「藤山」「渋谷」「曽我廼家」の看板がそろうことになる。

曽我廼家は「喜劇の祖」

 日本で初めて「喜劇」の公演を打ったのは、元歌舞伎俳優の曽我廼家五郎と曽我廼家十郎。1904年、大阪・道頓堀でのことだ。2人の「曽我廼家兄弟劇」は人気を集めたが、10年ほどして分裂する。当時は道頓堀に芝居小屋のひしめいていた時代。数々の喜劇一座が離合集散を繰り返していた。

 そして戦後まもない48年、松竹新喜劇が旗揚げされる。五郎劇と松竹家庭劇、さらにNHKの朝ドラ「おちょやん」のモデルになった浪花千栄子もいた「劇団すいと・ほーむ」がひとつになった。

記事の後半では、新しく曽我廼家を名乗る3人の思い、劇団代表の渋谷天外さんのねらい、11月に大阪・松竹座である錦秋公演の詳細が書かれています。

 「曽我廼家」は、いわば松竹新喜劇の源流といえる。その大切な看板を継ぐのは、植栗芳樹(39)改め「曽我廼家一蝶(いっちょう)」、桑野藍香(29)が「曽我廼家いろは」、そして竹本真之(36)が「曽我廼家桃太郎」の3人。

 「劇団のルーツでもある『曽我廼家』の名にあこがれを持っていた。本当に夢のよう」。そう話す植栗は、幼い頃から子役として活躍。小劇場の舞台で、現劇団代表の三代目渋谷天外(66)と出会った。共演をきっかけに何かと目にかけてくれるようになった天外からある日、「松竹新喜劇、一度見に来てよ」と誘われ、のぞいて見たのが「人生双六(すごろく)」だった。どん底にいる男2人が5年後の再会を約束して奮闘する。

 「どうなるんやろうとドキド…

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