フィルム現存ない映画「浪花女」、写真と脚本で再現 田中絹代特別展

織井優佳
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 サイレント映画のかれんな娘役に始まり、溝口健二ら名匠との仕事で演技に開眼、半世紀に及ぶ映画人生の後半には監督業にも進出した田中絹代(1909~77年)。長く鎌倉に暮らした大女優の足跡を、遺品の手紙や写真、脚本などでたどる特別展が、12月12日まで鎌倉市川喜多映画記念館(神奈川県鎌倉市雪ノ下2丁目)で開かれている。

 山口県下関市生まれの田中が14歳でデビューした当時、日本映画はサイレント時代だった。トーキー移行で下関なまりを心配したが、上原謙との共演で大ヒットした「愛染かつら」などで人気女優になった。

 若手の台頭に悩み始めたころ、厳しい演出で知られる溝口健二監督と出会う。初めて組んだ「浪花女」(40年)は人形浄瑠璃の世界が舞台で、監督の指示で文楽専門書を何カ月も読み続けた。こうした仕事を通じ、どんな作品でも自然な存在感を発揮する演技派へと成長した。

 戦後は小津安二郎成瀬巳喜男木下恵介ら名監督の多くの作品に出演し、日本を代表する大女優となった。50年代には、日本の劇映画初の女性監督として「恋文」(53年)、「月は上りぬ」(55年)などを手がけ、「お吟さま」(62年)まで6作品を撮った。

 フィルムが現存しない「浪花女」の物語を、遺品のスチル写真と脚本から再現したパネルは、学芸員の阿部久瑠美さんの労作。溝口や小津、木下ら名匠から届いた手紙は、彼らの達筆ぶりに加え、映画界の内幕がわかる内容も興味深い。戦後間もない49年に日米親善芸術使節として渡米した時の写真は、田中がハリウッドに刺激を受けた様子を伝える。貴重な資料からは、日本映画の歩みそのもののような田中の足跡が伝わってくる。

 コロナ感染者が減少傾向にある中、関連作品の上映も席数制限を解除した。10月は、ベルリン映画祭銀熊賞(最優秀女優賞)の「サンダカン八番娼館 望郷」(74年、熊井啓監督)など、11月は初監督作「恋文」などを上映する。12月8~12日には、溝口監督と組んだ「西鶴一代女」「山椒大夫」「浪華悲歌」「雨月物語」の4作品が一般500円で鑑賞できる。

 午前9時~午後5時(入館は30分前まで)、月曜休館。観覧料は一般400円、小中学生200円、映画鑑賞は一般1千円、小中学生500円。上映日程やチケット販売などは、同館(0467・23・2500)へ。(織井優佳)