35カ所に訂正印、田中正造の直訴状7年ぶり公開 足尾銅山鉱毒問題

根岸敦生
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 足尾銅山鉱毒問題の実情を訴えるため、田中正造(1841~1913)が明治天皇に直訴したのは1901年12月10日。120年となる今年、佐野市郷土博物館で、7年ぶりに田中正造の直訴状の実物が展示されている。

 安蘇郡小中村(現佐野市小中町)出身の田中は、足尾銅山から流れ出る鉱毒による農業や漁業への被害解決を訴えて、衆院議員として国会で質問書提出や鉱業停止の要求を繰り返した。地元の被害住民も大挙して請願行動を続けたものの、解決に至らなかった。

 田中は1901年10月23日に衆院議員を辞し、世論喚起を狙い、12月10日に議会開院式から帰る途中の明治天皇に美濃紙6枚を半折りにし、こよりでとじた書状を提出しようと試みた。

 直訴状の筆者は万朝報(よろずちょうほう)の記者で、後に大逆事件で刑死した幸徳秋水。田中が書状に加筆、訂正印を35カ所に押した跡が残る。

 実物の展示は2014年5月に、上皇ご夫妻が同館を訪れた時以来。茂木克美館長は「普段はレプリカを展示しているが、やはり実物には正造の思いがこもっている。傷んでしまうのでなかなか展示できない。この機会にぜひみてほしい」と話す。展示は12月上旬までの予定。根岸敦生