松坂大輔を育てた大切な時間 今はない35年前のキャッチボール相手

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遠田寛生
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 初めて会った日から一体、何球見てきたのだろう。

 松坂大輔のキャッチボールである。

 何千、いや万単位かもしれない。

 2007年から、私の中では緊張の時間だった。

 かつて松坂がこう言っていたからだ。「練習で一番大事にしているのはキャッチボール。そこで色々な確認をするので」

 勝負だった。

 さっそうとグラウンドへと飛び出した松坂が、ボールを投げ始める。徐々に後ろに下がり、相手との距離を伸ばしていく。

 ベンチ前やフェンス越し、時には球場の観客席から。可能な限り、私は同じ角度から見ようとした。

 腕やひじの位置、足を上げるタイミング、投げている球種……。

 何をしているのだろう、と目をこらした。わずかな変化も逃してはなるまい。

 そんな意気込みでノートに走り書きした。重要そうと感じたら赤色や二重線など、しるしをつけた。

 本人に確認する時は冷や汗をかいた。的外れなことをたくさん書き込んでいたことは言うまでもない。

 私「左足をいつもよりゆっくり上げて投げていた気がしたのですが……」

 松坂「うーん、ちょっと違いますね」

 少し間を置いてから言った。

 「左足はあまり……。どっちかといえば意識したのは軸足かな」

 でも、たいていの場合は笑ってくれた。

 時には取り組みの狙いを細かく教えてもらえた。

 私「今日はカーブを多めに投げていましたが、腕の振りの確認でしょうか?」

 松坂「そうですね。フォームのバランスがいいので。西武時代からよくやっています」

 疲れがたまると、松坂は左足を踏み出したあとの体の開きが早くなった。ひじも下がり、腕が「横振り」になる傾向があった。

 そうなると、球を離す位置が打者から見えやすくなってしまっていた。変化球も大きく曲がる分、制球は定まりづらい。

 修正する際にはよく緩いカーブを投げた。体を縦回転させるイメージでボールを放らないと、投げにくい球種だからだ。腕やひじをうまく使えている感覚が確認できるという。

 スター選手なのに飾らない。度量の大きい人だった。

 投げることは、松坂の生きがいだった。

 これまで私が取材した投手で誰よりも長く、多くキャッチボールをしている。

 傾斜があるブルペンに入ったら体をこう動かそう、試合ではこうしよう――。

 遠投に近い距離を投げる日もあれば、途中から相手を捕手のように座らせて強めに投げる日も多かった。

 毎日納得いくまで投げたい。そんな性格だった。

 大リーグの球数制限が厳しいと日本で広く認識されるようになったのは、松坂が理由ともいわれる。

 レッドソックス時代は「投げすぎ」とみられ、球団はキャッチボールの球数まで管理した。自主トレに「監視役」を送ったこともある。

 どれだけ短くても、松坂にキャッチボールは必要な時間だった。技術を修正し、心をリセットした。

 それは、35年も前から始まった習慣でもある。

 最初にキャッチボールをした記憶は「5、6歳」という。相手は父・諭(さとる)さんだ。高校球児だった父の影響で野球にのめり込んだ。

 当時住んでいたのは、近所を大型トラックが行き交ったという東京都江東区の集合住宅地。

 父親が仕事でいない日も、松…

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