ナポレオン、英雄か独裁者か 欧州を席巻した波瀾万丈の素顔

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井上秀樹
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 出世ぶりは秀吉のごとく、才覚は信長のごとく。没後200年のナポレオン・ボナパルトは今なお最も知られたフランス人だ。戦術に優れた英雄とも、情報を操作した残虐な独裁者とも。その実像は。

 国歌にナポレオンが歌われている国をご存じだろうか。答えはポーランド。2番に「ボナパルト」が出てくる。ロシアやプロイセンなど周辺の強国に領土を分割されたが、敵の共通するナポレオンの助けでワルシャワ公国が成立した歴史がある。

 コルシカ島の貴族からフランス帝国の皇帝へ。会戦にめっぽう強く、一時は欧州の大半を征服した数少ない支配者だ。

 生まれた年にコルシカ島はイタリアからフランスに併合された。陸軍学校へ進むも地元愛が強く、独立をめざし何度も帰省した。

 20歳でフランス革命が起き、旧体制が崩れたおかげで出世の道が開く。「3時間睡眠」の俗説が生まれるほど無類の勉強家。得意な数学を生かして砲兵として戦果を挙げ、不安定な政情に乗じて政権を握った。

 イタリア訛(なま)りが抜けず文法をよく間違えたらしいが、1798年のエジプト遠征ではこう鼓舞した。「兵士たちよ、ピラミッドの頂から4千年の歴史が諸君を見ている」。首相が式典のあいさつ原稿を読み飛ばす国の政治家に、この格調は望めない。

 素朴な疑問が。なぜ、フランスは革命で王政をやめて共和政を模索し始めたのに、君主による帝政を復活させたのか。

 野村啓介・東北大大学院教授…

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