不登校→工場勤務→学長 ダチョウ博士に聞く 鳥それぞれな生き方

有料会員記事

土井恵里奈
【動画】ダチョウにハマり獣医師から学長になったダョウ博士の塚本康浩・京都府立大学学長=塚本康浩学長提供、矢木隆晴撮影
[PR]

 「アホ」といわれると、大体の人は怒るかへこむ。でも、関西人である京都府立大学の学長(52)は、アホなおかげで今があると言う。不登校から工場勤務をへて獣医師に。今はダチョウの研究者として、社長と学長の二足のわらじを履くこの人に、生き物とアホのめくるめく関係を聞いた。

塚本康浩 1968年京都府生まれ。大阪府立大卒業後、神戸のダチョウ牧場の主治医に。ダチョウの卵から抗体を効率的に取り出す手法を研究し、2008年、京都府立大発ベンチャーを設立。インフルエンザ感染予防のマスクなどを開発し、09年、産学官連携功労者表彰・文部科学大臣賞に選ばれた。昨年、同大学長に就任。

――塚本学長は「ダチョウ博士」と呼ばれています

 ダチョウの研究をして25年ほどになります。ダチョウは体が丈夫。免疫力が高い。力の源の抗体をダチョウの卵から取り出し、医療に役立てる研究をしています。

――ダチョウだけでなくいろんな鳥を飼っていて、大学にはインコやエミューもいますね

 鳥の9割以上は賢い。羽づくろいをして、清潔です。インコもとても賢い。嫉妬したり、「寝る」と言ってから寝る子もいたり。ダチョウと違って賢(かしこ)チームです。

――インコはさっき博士が電話していた時、相づちをまねするように首を振っていました。物覚えが良さそうです。ダチョウは違うのでしょうか

 最初、僕は民間のダチョウ牧場の主治医としてダチョウを観察し始めました。5年も見続けて、分かったことは「アホ」ということ。記憶力が弱く、めちゃくちゃ。不潔で羽づくろいもろくにせず、ウンコをつけたまま走り回る。

すぐ忘れる上に凶暴

――飼育してみて、大変なところは

 言うこと聞かへんのです。3秒たったら忘れる。飼い主の僕の顔でさえ、十数年一緒にいても覚えようとしません。しかも、スイッチが入るとすごく凶暴になって体当たりしたり蹴ったり。アホやのにパワー強いから大変。蹴られて足を骨折したこともあります。蹴ったのはオスで、ラオウと呼んでいます。「北斗の拳」が由来です。

 ダチョウの暴力から身を守れるように、土建業が本職の方々が、バリケードみたいな防御装置を鉄パイプで作ってくれたことがありました。でも、突破してまう。

――最強の鳥ですね

 凶暴やから僕以外誰も研究せえへんかったんやと思います。でも、賢くなくても、体が強いことはよく分かりました。病気になりにくく、けがもすぐ治る。それが逆によかった。おばかさんでも、卵から質の良い抗体を取り出せるわけですから。アホチームとして生き残ってきた貴重な鳥です。

弟子も最強

――研究の右腕となった弟子「足立くん」こと足立和英さん(42)も、ただ賢いだけの人ではないですね

 普通、研究者は体より頭が先に動いてまうんですが、彼は汚れ仕事を嫌がりません。体もとても丈夫です。コイの研究ではヘドロの川に沈み、ダチョウの研究もドロドロになって。肉体系ですね。

 ダチョウの卵から抗体を取る技術を僕らが実用化する前は、ダチョウの血液から抗体を取っていたんです。抜いた大量の血をバケツに入れて車で運ばないといけなくて大変でした。足立くんがお母さんの車を借りて運転してたんですが、警察に呼び止められないか冷や冷や。事件現場にいたみたいに血痕をつけて帰ってくる息子を、ご家族はさぞ心配したことでしょう。

 どんな環境にも順応できるところもすごい。実験でインドネシアに行った時も、生水にも油にもあたらない。現地にすぐなじんで、「家を買わないか」と誘われたり、道を聞かれたり。福山雅治並みの人気でした。

 彼は見事にダチョウの背中に乗れるようになり、ダチョウ小屋専門の建設会社まで作りました。オーストリッチサイエンスといいます。どこがサイエンスや、土建屋やないかって思われそうですが、需要はあって。ダチョウ小屋の修理は、普通の業者に頼むと断られることが多い。見積もりまでいっても、現地に入ったら「無理です」と。理由は凶暴だから。ラオウみたいなのがいるから。引き受け手が少ないんです。

――一方、ダチョウ抗体は引く手あまたです。メリットは何でしょう

 安くて量産化しやすいんです。他の動物から抗体を取る費用の4千分の1ほど。マスクみたいに使い捨ての製品に向いています。質のいい抗体を湯水のように安く使えます。

――アホで凶暴で見向きもされなかった日陰の鳥が、博士の研究で日の目を見ました。逆説的で常識破りな気がします。

 僕も学者やから、最初はダチョウの行動に規則性を見いだそうとしていました。でも、分かったことは、規則性がないということだった。支離滅裂な鳥なんです。

 でも、よく考えたら僕もそう。人生、逆にいってまうところがあって。

――獣医師になる前は、海外からの出稼ぎ労働者と一緒に工場で働かれていましたね。すんなり大学に行ってというわけではなかったんですね

 少年時代、「アホな子」と思われていました。平仮名の「え」と「お」を書くのがいつまでたっても苦手で。吃音(きつおん)があったこともあって、小学校にはほとんど行かなかった。家で鳥の世話ばかりしていました。

 高校を出て、エアコンの部品を組み立てる工場に勤めました。工場のラインの流れ作業って大変なんです。時間内に作業が終わらないと、ベルを鳴らしてストップしないといけなくて。すっごい怒られるんです。

 1年ほど働いて、結局大学に行くことにしました。獣医師になろうと思って。

――なぜでしょう

 動物相手なら、人と話さずに…

この記事は有料会員記事です。残り1356文字有料会員になると続きをお読みいただけます。