「あの試合が諦めの悪さの原点」 松坂大輔、引退や家族を語る

構成・遠田寛生
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 19日に正式に引退を発表したプロ野球・西武の松坂大輔投手(41)。会見では松坂世代や家族への思いのほか、諦めないことの大事さなども語ってくれた。主なやりとりは以下の通り。

 ――高め合った「松坂世代」への思いは

 「本当にいい仲間に恵まれた世代だった。みんな本当に仲良かったですし。言葉に出さなくてもわかり合えることがあった。松坂世代という名前がついていましたけど、自分は松坂世代って言われることはあまり好きではなかった」

 「でも、僕の周りの同世代みんなが、それを嫌がらなかったおかげで。ついてきてくれたというと少しおこがましいかもしれないですけど、みんながいたから先頭を走ってこられた」

 「みんなの接し方が本当にありがたかった。それと同時に自分の名前がつく以上、その世代のトップでなければならないって思ってやってきました。それがあったから、最後まで諦めずにやれてこられたかなと思う」

 「僕の前にやめていった選手たちが残った僕らに託していったように、(世代で)最後の一人になった毅(和田)には、まだまだ投げたかった僕の分も投げ続けていってほしい。できるだけ長くやってほしい」

 ――プロの投手として、マウンドに上がる時に心がけてきたことは

 「この23年間、あまり自分の状態がよくなくて、投げたくないな、できれば帰りたいな、代わってもらいたいなという時期もあった」

 「やっぱり、最後は逃げない。立ち向かう。どんな結果でも全て受け入れる。自分に不利な状況もはね返してやる。試合のマウンドに立つその瞬間には、必ずその気持ちを持って立つようにしていました。ぎりぎりまで嫌だと思う時もありましたけどね。でも、覚悟を持ってマウンドに立つようにしていました」

 ――大舞台で力を発揮できない子どもたちへのアドバイスを

 「国際大会とかの試合においては厳しい状況もあった。このマウンドに立てる自分がかっこいいと思っていましたね。というか、思うようにしていましたね」

 「でも、やっぱり大きな舞台、目立てる舞台に立てる自分がかっこいい、と思うようにしてたからなんですかね。毎回勝てたわけじゃないし、痛い思いもしたこともあります。やっぱりそういう舞台に立てることはかっこいいことだと思う。みんなには、そういう舞台に積極的に立ってもらいたいと思いますね」

 ――心残りの数字は

 「やっぱり、西武ライオンズに入団した時に東尾(修)さんに200勝のボールをいただいた。自分自身が200勝をしたいと思っていましたし、お返しをしたかった。それを一番先に思います。ボールはちゃんと持っていますよ(笑)」

 ――子どもたちからねぎらいの言葉は

 「家族も僕の体の状態を分かっていましたし、実際に辞めるよって言う前にも、もうそろそろ辞めるかもねって話をした時は喜んでいた。『これからはじゃあ遊ぶ時間が増える、うれしい』って言っていた」

 「実際に辞めるって報告した時は、みんな泣いていた。『やったー、お疲れ様』って言われるかなと思ったんですけど、みんなしばらく泣いていた。僕には分からない感情を、妻や子どもたちは持っていたのかもしれないですね」

 ――これから家族でやってみたいことは

 「最近、家の庭で野菜を育てたりしていた。そういうことをみんなで楽しみながらやっていきたい。たいしたことじゃないかもしれないですけど、(家族には)そういうことをさせてあげられなかった。これからはそういう時間を増やしていけたらと思います」

 ――諦めの悪さをほめてあげたいと言っていたが

 「全てがそういうわけではないんですけど、諦めなければ最後は報われる。それを強く感じさせてくれたのは、(横浜高で3年生の時に出場した)夏の甲子園のPL学園との試合ですかね」

 「いま質問されても、パッとその試合が出てきた。やっぱりあの試合があったからですかね。最後まで諦めなければ報われる。勝てる。喜べる。あの試合が諦めの悪さの原点だと思います」(構成・遠田寛生)