「神は私たちを違う道へと導いた」 アフガン難民、スラムでの40年

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イスラマバード=高野裕介
【動画】アフガニスタン難民が暮らす、隣国パキスタンの居住区=高野裕介撮影
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 40年以上、難民として生きてきた。祖国を離れてから一度も、その土を踏めないでいる。

 「ふるさとを夢見ない日は一日たりともありません。ずっとこんな生活を続けるなんて、哀れとしか言いようがない」。アフガニスタン難民のハヒスタ・ハーンさんは淡々と語った。年は70ほどだという。

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難民となって40年以上が経つハヒスタ・ハーンさん(後列左)と息子や孫たち。6人の子どもを育て上げ、約30人の孫がいる=2021年10月4日、イスラマバード、高野裕介撮影

 パキスタンの首都イスラマバード。近代的に区画整備された中心部とは対照的に、電気も上下水道もないスラムのような一帯に住む。

 土やわら、れんがでできた壁の家には、サトウキビの葉や防水シートが屋根代わりにのせられていた。足を踏み入れると、未舗装の路地にはごみが散らばり、汚水や家畜の糞(ふん)の臭いが鼻をついた。

 1979年、アフガニスタンを長い混迷に陥れるきっかけとなったソ連軍の侵攻で、隣国パキスタンに渡った。各地を転々とし、この場所にたどり着いた。窓もない約5メートル四方の土壁の部屋に、妻ら10人と寝起きする。天井には、バッテリーにつないだファンが回っていた。

 内戦、干ばつ、貧困、そして2001年に起きた米同時多発テロをきっかけとした米軍の攻撃。この一帯には、それらから逃れた3千世帯とも言われる難民が暮らしている。

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40年以上難民として暮らすハヒスタ・ハーンさんの家を訪ねると、妻がかまどでパンを焼いていた=2021年10月4日、イスラマバード、高野裕介撮影

 荷車で野菜や果物を運ぶ日雇い仕事などで、ハーンさんは3男3女をパキスタンで育てた。ただ、貧しさからは抜け出せず、小学校すら通わせることができなかった。

 自身が満足な教育を受けられなかったため、子どもたちは学校に行かせたかった。医師や教師にすることが夢だった。「でも、神は私たちを違う道へと導いた。悲しいことではありますが」

 国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によると、パキスタンで登録されたアフガニスタン難民は、世界で最も多い約140万人。だが、実際にはその倍ほどの人たちが滞在しているとみられる。

 8月、アフガニスタンではイ…

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