不完全燃焼の吹奏楽コン、でも… 人生を変えたファゴットの贈り物

永田工
写真・図版
2019年の全日本吹奏楽コンクールの風景。昨年はコロナ禍で中止された。今年は23日からライブ配信される。
[PR]

 第69回全日本吹奏楽コンクール全日本吹奏楽連盟、朝日新聞社主催)が、23日の中学校の部を皮切りに始まる。今年は新型コロナウイルスの影響で、会場への入場は出場団体関係者に限定されるため、初めて「ライブ配信」される。事前専用サイト(https://www.asahi.com/brasschorus2021/wbandcompetition.html?ref=article)に申し込みをすれば、全国大会に選ばれた団体の卓越した演奏を、どこででも聴くことができる。

     ◇

 社会部で日ごろ事件報道に携わるデスクである私がなぜ、吹奏楽にまつわるコーナーに顔を出しているのか。

 思い出話から始めたい。

 1994年7月、私は神奈川県秦野市の市文化会館にいた。

 高校の吹奏楽部でファゴットを吹いていた3年生の私は、この会場で開かれた神奈川県吹奏楽コンクールの予選に出場していた。

 すべての演奏が終わり、客席の中ほどで審査結果が発表されるステージを見つめていた。プログラムをひざに置き、「金」「銀」「銅」の結果を順次書き込んでいく。

 そして、審査員が私たちの結果を告げる。

 「…ん」

 「金?」「銀?」

 金賞なら右手が挙がるはずだが、挙がらない。結果は「銀賞」。

 私の吹奏楽コンクールは、こうして終わった。

 通っていた高校の吹奏楽部はよく言えば少数精鋭、だが実態はといえば途中でやめていく部員も多く、50人編成(当時)の高校Aの部に、40人そこそこの部員全員で臨んでいた。

 それでも前年まで毎年のように予選を突破し、神奈川県民ホール(横浜市)で開かれる本大会に進んでいた。前年は関東大会まであと一歩という成績だった。

 油断があったわけではないだろうが、どこか中途半端な形で挑戦は終わり、夏休みの予定がぽっかりと空いてしまった。

写真・図版
2019年に開かれた全日本吹奏楽コンクールの様子

 高校の吹奏楽部の活動には、演奏技術を磨く苦労だけでなく、人間関係や学業との兼ね合いといった様々な要素が絡んでくる。

 学校で部活が許される時間が過ぎると、近くのファストフード店に場所を移し、閉店間際まで部の運営について話し込むことも多かった。

 高校入学と同時に吹奏楽部に入った私は、まったくの初心者として楽器に触れた。

 音楽好きの両親の影響や中学の担任の勧めで、高校に入ったら楽器を始めようと思っていたが、ファゴットを吹くことになったのは、偶然だった。

 最初は希望の楽器もよく分からない状態でオーボエを始めることになった。初心者にとって、音を出すことも難しい楽器だ。見よう見まねで練習に加わり、それでも人数の少ない部では歓迎された。

 それから2週間ほどしたある日、音楽監督が高校を訪れた。ドイツで演奏していたこともあるプロのテューバ奏者だった。

 「吹いてみろよ」

 渡されたのが吹く部員もなく、部室に置かれていたファゴットだった。大げさに言えば、この出会いは私の人生を変えた。

 吹奏楽界でファゴットは「マイナー楽器」と言える。曲によっては、あってもなくても構わない「オプション」と記されていることもある。

 ただ、ビバルディやJ.S.バッハといったバロックの巨匠も使い、現代に至るまでオーケストラでは欠かせない楽器の一つでもある。

 ドイツ帰りの指導者は、R.シュトラウスやワーグナーからバーンスタインまで、オーケストラ作品の編曲ものを好んで部員に演奏させた。必然的にファゴットの出番も多くなる。先輩やOB、時にはプロ奏者の指導も受けながら、少しずつステップを上っていく喜びを感じていた。少し吹けるようになれば、仲間と音を合わせることのだいご味も分かってくる。

 狭い部屋にこもってパート練習を続け、緊張感に満ちた合奏を味わっているうち、私はこの世界から抜け出せなくなっていった。

 夏のコンクールは、春先の定期演奏会とともに活動の柱。予選を突破して県大会に進めば、学校の教室に泊まり込む数日間の合宿もある。

 高校最後の夏は思いがけず不完全燃焼に終わったが、ファゴットと付き合っていきたいという気持ちは強まる一方だった。

写真・図版
永田工記者

 吹奏楽とともに音楽の楽しさを知った私は、大学に進みオーケストラの一員となった。卒業して記者になってからも仕事の傍ら、ファゴットを吹き続けている。

 オーケストラピットに入ってのオペラ公演から少人数での室内楽まで、仕事の疲れを癒やすとともに、新たな曲と巡り合う楽しさは一度覚えるとやめられない。

 全国紙記者の仕事には、転勤がつきものだ。

 現在住んでいる東京以外でも、過去に仙台や福岡といった初めての地でオーケストラに加わり、新たな仲間ができた。そこで出会った管楽器奏者の多くは、ルーツに吹奏楽がある。世代が近ければ、吹奏楽コンクールの思い出話に花が咲くことも多い。あのとき、ファゴットを選んでいなければ――。そんな思いを抱くことは今でもある。

 そんな当たり前の日常だった音楽の場が、コロナ禍によって奪われてから1年半以上がたつ。私自身も出演を予定していた複数の演奏会のキャンセルや延期を経験した。

 それでも、アマチュアの社会人はまだいい。同じ時間を過ごせる時期が限られている中高生や大学生が直面する苦境は、嫌というほど伝わってくる。

 私が大学時代に所属していたオーケストラの現役学生からも、コロナ禍で練習や演奏会が難しくなったことだけでなく、世代間の断絶によって、長く紡いできた団の歴史を途絶えさせかねないことへの危機感を訴えるメッセージが届いた。

 コロナ禍が拡大した当初、「リモート合奏」などの試みが広まった。しかし、一堂に会しての合奏とはほど遠い。そんな状況が続き、取り戻せない機会がどれほど失われたのだろうか。

 なかなか合わない和音を、互いに聴き合いながら歩み寄って合わせていく苦労。全員で奏でるクライマックスのフォルテ……。

 感染対策に努めながら、演奏会やコンクールの場が少しずつ戻ってきていることは喜ばしい。私が高校生だった頃、全日本吹奏楽コンクールの大舞台はその雰囲気を想像することすらできない高みにあった。映像でその空間を共有できる機会を楽しみたい。

10月23日から、第69回全日本吹奏楽コンクールが始まります。感染症対策の一環で入場券の一般販売は見合わせになりましたが、全部門の演奏がインターネットを通じて初めてライブ配信されます。申し込み専用サイト(https://www.asahi.com/brasschorus2021/wbandcompetition.html?ref=article

 ながた・こう 1976年、横浜市生まれ。神奈川県立光陵高校の吹奏楽部でファゴットを始める。大学時代は一橋大学管弦楽団を中心に、様々なオーケストラで演奏した。99年に朝日新聞社に入社し、社会部で警視庁や国土交通省などを担当。デジタル編集部デスクを経て、現在は社会部デスクとして事件・事故やサイバーセキュリティーを担当する傍ら、オペラや室内楽を軸に演奏活動をしている。

写真・図版
永田工記者

コンクールで演奏した曲

92年 課題曲:ネレイデス(田中賢)

   自由曲:バレエ音楽「ロデオ」からカウボーイの休日(A.コープランド)

93年 課題曲:スター・パズル・マーチ(小長谷宗一)

   自由曲:吹奏楽のための交響詩「ぐるりよざ」から祈り(伊藤康英)

94年 課題曲:雲のコラージュ(櫛田胅之扶)

   自由曲:4つのスコットランド舞曲(M.アーノルド)永田工