ワルシャワで開かれた第18回ショパン国際ピアノコンクールで2位となった反田(そりた)恭平さん(27)が発表直後の21日未明、日本記者団に率直な思いを語った。
――今回の感想をお聞かせ下さい。
本当に信じられないです。まだ実感がありません。
(前回のショパン・コンクール後から)6年間かけてプログラムを吟味してきて、全てが実った瞬間でした。
(後ろで長髪を束ねる)髪形から、体格まで。海外のホールで音を響かせるためには、食べないといけない。2年前から筋肉をつけて、その後1年間で筋肉を落として脂肪に変えるといったことも、こっそりやっていました。
幸いにも「ショパニスト」と最高のお褒めの言葉をいただきましたが、名前よりもまず、髪形から「サムライ」って覚えてもらえればいいな、と本当に昔から戦略として考えていたんです。
人の夢がかなう瞬間というのは人それぞれだと思うんです。一瞬かもしれないし、5秒かもしれない。僕の場合は12歳から憧れてきたこのショパン・コンクールのファイナルの舞台。コンサートではなくコンクールでオーケストラと一緒に弾きたいという思いが強くありました。40分間、夢がかない続けた最高の瞬間だったと(18日の)ファイナルの演奏を終えて思っていました。正直、順位は後からついてくるなと。ファイナルに行けた時点で本当にうれしかったんです。
――結果発表のときはどのような感じでしたか。
実は発表されたとき、自分が何位なのかよく分からなかったんです。3位だったマルティン・ガルシア・ガルシアに「おめでとう、君何位?」と尋ねたら「僕、分かんない」と。アレクサンダー・ガジェヴも一緒の2位だとは僕は知らなくて、「君も2位なの?」なんて、みんな困惑していました。
発表後、審査部屋に連れて行かれ、歴史の重みを感じました。コンクール期間中、新しい夢、目標がもう一つできたんです。偉大なピアニスト、本当にショパンを知り尽くした審査員の背中をみて、いつかあの席に座ってみたいという夢です。
2位という結果には満足していますが、日本人初の1位は取れなかった。僕がこれから門下をもって、少しでもショパンの魅力や伝統を教えられる人間になれたらいいなと、心の底から強く思っています。
――結果発表後、反田さんの先生で、審査員でもあるポーランドのピアニスト、ピオトル・パレチニと話をされ、目が潤んでいるようでした。どんな話をされたのですか。
思い出しただけでも、いまも泣きそうです。
4年前の10月17日、ショパンの命日ですが、初めて先生のレッスンを受けました。僕は本当にショパンのイロハを知らなかった。
2次予選で先生がかけてくれた言葉
日本ではショパンは人気だし…