「つらかった」 引退決意の巨人・亀井善行が明かした12年前の苦悩

松沢憲司
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 勝負強い打撃から「亀さま」と呼ばれ、巨人ファンの心をつかんで離さない亀井善行外野手(39)が、今季限りでユニホームを脱ぐ。21日に東京都内で行われた引退会見で、意外な本音をもらした。

 2009年、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)のことを聞かれた時だ。

 「正直、選ばれたくなかったです。つらかった。実績もない自分が行くのは、ね。実績のある人たちが落選していくのを、目の当たりにしましたし」

 当時26歳。中大からドラフト4巡目で巨人に入って、まだプロ5年目だった。前年にそれまでで自己最多の出場96試合で5本塁打、23打点を記録。「自分の中で、少し力が付いてきたかなと思って」いたころだった。守備力には定評があったが、まだ自チームでも定位置を確保できていなかった。

 日本代表の周りを見渡せば、大リーグで活躍していたイチロー福留孝介ら、スター選手ばかり。気後れしないわけがない。

 ただ、日本代表を率いていた原辰徳監督の思いは、違った。

 亀井をねぎらおうと、花束を携えてこの日の引退会見に登場し、当時を振り返った。

 一番最初にメンバーに決めたのが、片岡(易之、当時・西武)と川崎(宗則、当時・ソフトバンク)と亀井の3人だったという。

 寄せ集めになる代表において、サブプレーヤーの存在が重要だと原監督は考えていた。なぜ亀井だったのか。

 「柔軟性と順応力があったからだ」

 亀井のWBCでの出場は、わずか3試合で1打数1安打。「(日本代表に)選ばれたなかった人のためにも、試合では貢献できなくても、声出しや雑用でも、何でもやろうと思って。世界一にもなれたし、いい経験だったと今になって思います」

 イチローが当時、原監督にこう語ったという。「亀井はいい選手ですね。守備も打撃も。チームにいたら助かる」

 この経験が、糧になった。

 WBCからチームに戻った亀井は134試合に出場して初めて規定打席に到達し、打率2割9分で25本塁打、71打点を記録。いずれも、プロ生活17年で最高の数字だ。そして、ゴールデン・グラブ賞にも輝いた。原監督が「帰ってきて、人が変わったようだった」と驚いた活躍ぶりだった。

 09年以上の結果を出せなかったのは、度重なるけがに見舞われたから。引退を決意したのも、けがが理由だ。昨年、左足の内転筋の肉離れを起こし、今もまひが残るという。思うようなバットの軌道が描けなくなり、今年9月に原監督や家族に引退を伝えた。

 外野を守れば、今でもチームでトップクラスのプレーができる。亀井の上をいく代打の切り札は、今のチームに存在しない。そんなチーム事情を踏まえても、決断せざるを得ないほど、体はボロボロだ。

 「正直、未練はない。何度も、何度も、よくはい上がってきたと思う。自分を褒めてあげたい」。笑顔でそう言った。(松沢憲司)