内閣が総辞職した4日朝、首相官邸である会議も幕を閉じた。毎週月曜に開かれた「辺野古会議」。2012年末の第2次安倍政権発足後、菅義偉官房長官が、自身の「懐刀」である国土交通省出身の和泉洋人首相補佐官に、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古への移設事業を委ねたのがきっかけだった。和泉氏の下に防衛、国交、法務各省の官僚が非公式に集められた。和泉氏が土砂投入の進み具合を細かく確認。「知恵を絞れ」とげきを飛ばした。参加者は日曜日も資料づくりに追われることもあったという。
民主党政権の混乱を目の当たりにした菅氏が政権安定のためにこだわったのが、集団的自衛権が行使できるようにすること。そして、辺野古移設だった。周囲に「この二つができれば日本の安全保障は50年は大丈夫だ」と語っていた。和泉氏の意向を受け、国交省技官が防衛省に出向。図面を引き、工事を進めるための工法を提案した。
法務官僚を入れたのは「訴訟リスクの軽減や政府の主張の整理など法的サポート」(法務省関係者)のため。国が被告となる訴訟にも対応するよう、安倍政権下で14年ぶりに局に格上げされた訟務局も関わらせた。検事や裁判官出身の法律のプロが「理論武装」を担った。長く移設に携わった防衛省の元幹部は「法務省は、ここまでなら許されるという『ぎりぎりのライン』を提案するのがうまかった」と話す。
- 【視点】
「沖縄の人々に寄り添う」とか「丁寧に説明する」と繰り返してきた安倍・菅政権は、しかし、選挙や住民投票で示された県民・住民の意思を無視し、頭ごなしに、そして時には首長の頭越しに、官僚の(悪)知恵を総動員して、ギリギリの法解釈・手法で強引に埋め