「魔球」が切り開いたプロへの道 心臓手術乗り越え、広島に育成指名

松永佳伸
[PR]

 11日にあったプロ野球新人選択ドラフト)会議で、中部学院大学(岐阜県関市)の坂田怜投手(22)が広島から育成4位で指名された。昨春に心臓手術を受け、最速143キロだった球速は10キロ以上も落ちたが、新たに習得したナックルボールがスカウトの目に留まった。「魔球」とともに逆境からはい上がった右腕がプロへの道を切り開いた。

 体調の異変に気づいたのは昨春だった。激しい動悸(どうき)が起こり、少し走るだけでも息が切れた。看護師の母親に相談し、すぐに病院で検査を受けた。

 診断結果は、心臓の病気「バルサルバ洞動脈瘤(りゅう)破裂」。大動脈の付け根部分が膨らんで破裂、穴があいて血液が逆流し、軽い心不全が起きていた。「寝ていても脈が早くなり、今までにない違和感があった。初めて聞く病名で言葉も出なかった」と話す。

 188センチ、90キロの体格を生かし、1年秋のリーグ戦は初登板で完封勝利。2年春には球速が143キロまで伸びた。さらに活躍が期待された矢先の3年春に発病。ただ、当時は新型コロナウイルスの感染拡大でリーグ戦が中止に。「すぐに手術をすれば、ゆっくり治すことができ、また野球ができる」と思った。

戻らない球速 監督「新しいことに挑戦してみたら」

 埼玉県熊谷市の実家に戻り、昨年4月15日に約7時間に及ぶ手術を受けた。5月末までは自宅で静養し、心肺機能の回復を図ろうと、散歩や階段の昇降から始めた。6月に野球部の練習を再開。ランニングやキャッチボールなどを続け、ブルペンで投球練習が再開できたのは12月だった。

 胸を開いて骨を切った影響もあり、無意識のうちに傷をかばった。手術前のようにダイナミックな投球フォームで投げることができない。球速も120キロ台後半まで落ちた。

 もがき苦しむ坂田投手に原克隆監督(当時)は「球速は戻らない。新しいことに挑戦してみたら」。大きな手と長い指を生かし、不規則に変化するナックルボールの習得を勧めた。

 大リーグではナックルボールを武器に活躍する投手はいるが、日本のプロ野球では成功例がほとんどない。投げた本人にも変化の予測がつかず、ストライクを投げることが難しい。

 今年2月から本格的に練習をはじめ、ブルペンで毎日100球以上投げ続けた。ナックルボーラーとして憧れる大リーグ通算200勝を挙げたティム・ウェークフィールドさんの動画も繰り返し見て研究した。

 投球フォームも体の後ろでひじを折りたたむように修正。親指と薬指でボールを軽くはさみ、人さし指と中指を立てて縫い目にかけず、ボールの中心を押し出すようにし、制球も徐々に安定してきた。

 無回転のナックルボールは魔球とも呼ばれ、不規則な変化で打者が的を絞りにくい。坂田投手は練習試合などで試しながら、打たせてとる投球スタイルを身につけた。

 今月3日には約2年半ぶりにリーグ戦のマウンドに立ち、1イニングを無失点に抑えた。投球の8割はナックルボールだった。

 大学で投球練習を見た広島のスカウトから「いいボールを投げるね」と声をかけられた。ドラフト前までの成績は公式戦7試合で1勝だったが、思い切ってプロ志望届を提出した。

「ナックルボーラーが活躍できることを証明したい」

 ドラフト当日は大学で吉報を待った。各チームの指名が育成枠に移り、「もうだめかな」と思い始めた時だった。広島から育成4位で指名されると、坂田投手は「あきらめなくてよかった。本当にホッとしました。みんなが自分のことのように喜んでくれたのがうれしかった」と話す。

 坂田投手は小学1年でソフトボールを始めた。シニアチームの監督に誘われ、中学から硬式野球に転向。主に内野手だったが、試合中に外野手と接触し、ひざを故障し、半年ほど野球ができない時期もあった。

 高校は強豪校ではなく出場機会を求めて、埼玉・正智深谷高校へ。そこで初めて投手を任され、プロ野球への憧れを抱くようになったという。

 中部学院大OBには、野間峻祥外野手や床田寛樹投手(いずれも広島)がいて、高校時代の遠征で訪れたこともあって入学を決意した。

 坂田投手は「ナックルボーラーが活躍できることを証明したい」といい、「前を向いて頑張り続けてよかった。自分のプレーが病気と闘っている人たちの勇気や希望になれば」と話す。一日も早く支配下登録を勝ち取り、1軍のマウンドで投げるのが目標だ。(松永佳伸)