ホリプロ創業・堀威夫 業界初上場の原点は息子の入試で見た「表情」

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聞き手=編集委員・後藤洋平
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 今年の文化功労者に、芸能プロダクションホリプロ」創業者の堀威夫(たけお)さん(89)が選ばれた。明治大卒業後にバンド「堀威夫とスウィング・ウエスト」を結成し、1960年に芸能事務所を設立。ザ・スパイダース、和田アキ子山口百恵ら数々のスターを生み出した。

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取材で思い出を語る堀威夫さん=東京都目黒区

 当初、社員にはスーツとネクタイ着用を義務づけ、89年には業界初の株式公開を果たした。これらは、芸能プロの社会的地位を向上するためだったと振り返る。きっかけは、長男の小学校入学試験での、親の面接だったという。芸能界で一大勢力を築き、昨年6月にホリプロの全ての役職を退任した堀さんに話を聞いた。

 ――文化功労者選出にあたって、率直な思いは

 やっぱり、僕の悪運はすごいな、と。長くやっていると、こういういいこともあるのかなと。バンドで10年、裏へ回って60年。トータル70年間この業界いるわけですから。まあ他に能がないということも幸いしたかなと思います。

 ――芸能プロダクションと、芸能界を取り巻く環境も当時と随分、変わったと思いますが

 僕が最初、表に出た時は「バンドマン」という呼び名だった。いまは「ミュージシャン」ですよね。

 当時、バンドマンというと、なんだかヤクザ者と大して変わらないような印象でした。「親に学費を出してもらって、大学まで出させてもらったのに、親戚に顔向けができない仕事は申し訳ない」と思って、いずれはやめようと思ってたんです。

 ただ、やめた時の年がちょうど朝鮮戦争特需後の大不景気で、各社が新卒をほとんど採用しなかった。もちろん採用していたって、僕は入れなかったと思うんだけど。

 それで、この業界にまた舞い戻っちゃった。要するに就職に失敗したのです。

株式公開、酔った勢いで発言

 ――70年の中で、一番うれしかったことは?

 順位をつけるほどのことはないのですが、例えば株式が公開できた時。ある日「公開を目指している」というのを、酔っぱらった勢いで言ったんですよね。

 それが小さな記事で世に出た。週刊新潮だか文春だか忘れたけれど、それを読んだ野村証券の株式公開担当の人が「堀さん、本当にやるのか?」と連絡してきた。「言っちゃったんだから、やる」って返しましてね。

 口に出すと実現するものだなと言う気がします。以来、有言実行論者になったんです。不言実行というのは、哲学の世界ではよしとされていますが、ビジネスの世界では、むしろネガティブではないかという感覚になりました。

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披露宴を前に記者会見に臨んだ山口百恵さん(右)と俳優の三浦友和さん=1980年

 ――他にも有言実行された具体例は?

 例えば一番最近では、ゴルフのエージシュート。年齢と同じか、それ以下のスコアで上がる記録です。

 私は60歳の時に「還暦からの20年は、違う自分になる」という意識で生きてきた。文章の句読点のようなものを置かないと生活できないというか、生きていけない性格で、80歳にゴールを定めていたのです。

 ところが、ある日80になっちゃった。何か次の目標を決めなきゃいけないなと思って、「ゴルフでエージシュートをやる」って言ったんです。で、その時は、もちろんそんな腕前じゃないのに、86歳の時に実現しました。何でも言ってみるもんだなと。今、次の目標がなくて困ってるんですが(笑)。

芸能界への色眼鏡、「なんとしても」の一心

 ――ご自身の性格を、どう分析していますか

 かなりの潔癖主義かな。ですから、裏に回って会社をやるようになってから、芸能界はとかく色眼鏡で危なげな仕事だという風に見られてたんで、「なんとしても」と思ってやってきた。

 (隣の取締役を見て)彼らが入社してきたころまでは「ネクタイを必ずしてこい」と言っていた。できるだけ地味な背広姿で、と。

 彼はいまだに変わっていないけれども、創業20周年の頃、ぐるっと社内を見回すと、みんな紺色の背広で地味なネクタイで「こりゃあダメだ」と(笑)。それで、「エンターテインメントの世界だぞ!来週から、土曜日はネクタイしてくるな。違う自分になれ!」と言いました。

 だから朝令暮改みたいなことをしょっちゅうやってたんです。自分じゃいい意味での朝令暮改だと思っていますが、周りは迷惑したかもしれない(笑)。

 20周年以後の新卒は、確か男性も女性も全く同じ給与体系にしました。今は当たり前のことですが、当時はそうではなかった。

 女性を初めて役員にしたのは88年。当時としては珍しかったと思います。その抜擢(ばってき)した女性が、本当にホリプロの発展に非常に大きく寄与してくれた。演劇部門を統括してくれたわけですが、これはうれしかった。そして今、こういう(女性の活躍が当たり前の)時代がきた。

 ――コロナ禍はどうみていますか?

 僕は戦前、戦中、戦後を生きてきているけれど、戦争よりも不気味ですよね。敵が見えないんですよ。ものすごく陰にこもっていてつらいなあと。

 僕、尋常小学校に上がって国民学校を卒業して、旧制中学に入って新制中学の第1期卒業生なんです。集団疎開もしています。敗戦の時まで軍事教練もやって、ゲートルを巻いて学校に行ってました。

 だから、ものすごいアップダウンの激しい時代を生きてきている。お陰様で少々のことでは驚かなくなった。

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デビュー曲「星空の孤独」、2作目の「どしゃぶりの雨の中で」で歌手としての地位を確立した和田アキ子さん=1969年

記事の後半では、数々のスターを育ててきた堀さんがその原石を選ぶ三つの「原則」、そして芸能プロの社会的地位を高めようと心に決めた出来事を明かします。

 ――スターを育てる極意とは?

 育てるというか……若い時は…

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