植民地時代知る最後の世代 果敢な「北方外交」推進 盧泰愚氏死去

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波佐場清(元朝日新聞ソウル支局長)

 韓国で軍事独裁政権が終わった後に大統領(1988~93年)を務めた盧泰愚(ノテウ)氏が26日、ソウル市内の病院で死去した。88歳だった。軍出身ながら、与党代表だった87年に「民主化宣言」を出し、国際社会で韓国の地位を高めた。一方で、退任後は、クーデターへの関与や不正蓄財などで実刑判決を受けた。

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 「日本ではいまも二宮金次郎は尊敬されていますか」。盧泰愚(ノテウ)氏が与党の次期大統領候補になっていた1987年夏、温和なスマイルで日本の記者団に日本語でこう問いかけてきたのには面食らった。

 慶尚北道大邱(テグ)市近郊の農村で生まれ、日本敗戦の年の春、国民学校を卒業した。「そのころ読んで一番記憶に残った本は俠客(きょうかく)、森の石松の物語だった」と回顧録に書いている。日本の植民地時代を直接体験した最後の世代だった。

 前任大統領、全斗煥(チョンドゥファン)氏とは陸軍士官学校同期。全氏に禅譲されるかたちで大統領候補になったが、「軍事独裁反対」のデモで全斗煥政権が追い詰められるなか、自らの「民主化宣言」で大統領直選制を受け入れ、民主化運動で競った金大中(キムデジュン)、金泳三(キムヨンサム)両氏を中心とする野党勢力の分裂を誘って87年暮れの大統領選を勝ち抜いた。

 自ら「ポトンサラム」(普通の人)と名乗り、全斗煥政権との差別化につとめた。アタッシェケースを手に円卓を囲む会議を開いたり、謙譲語を使ったりといった演出は、軍事政権時代の権威主義が目に焼き付いていた国民に「新時代の到来」を印象付け、好感された。

 国会は野党優勢の「与小野大」。野党からの「軍事政権時代の不正」追及を、盟友全氏を山寺に追放することでかわし、野党の金泳三、金鍾泌両氏を抱き込む巨大与党をつくって政権の安定を図った。

 退任後は苦境に追い込まれた。財界から集めた巨額の秘密資金が後任の金泳三政権下で暴かれ、全氏と共に光州民主化運動弾圧など軍事政権の「原罪」も問われて懲役刑に。回顧録には「財閥系大企業からの献金は朴正熙政権以来の慣行だった」「金泳三政権の産婆役を果たした私に軍事反乱の罪をかぶせて歴史の表舞台から消し去ろうというのか」と書くなど、金泳三氏に深い怨念を残した。

 盧泰愚氏が歴史に長く記憶されるとすれば…。生前の盧氏を取材した波佐場清・元朝日新聞ソウル支局長は、現在まで引き継がれる対北政策の「原点」に盧氏の功績を挙げます。

 盧泰愚氏が歴史に長く記憶さ…

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