考古学から迫る万葉集のこころ 別れ・望郷の場面を検証

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編集委員・中村俊介
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 「万葉集」を遺跡や出土品から読み解けば、どんな風景が見えてくるか――。上代文学に考古学や古代史が迫る試みが目立つ。歴史的背景はもちろん、万葉びとの心象風景さえも浮かびあがらせようとしている。(編集委員・中村俊介

 9月、奈良県立万葉文化館明日香村)で「万葉考古学ことはじめ」と銘打つシンポジウムが催された。同館の委託共同研究で、都市や交通、境界といった視点から遺跡の発掘成果を交えて万葉世界を探る学際的なプロジェクト。古代の都が置かれた奈良と、外交・軍事の最前線、大宰府を擁する九州の研究者が連携して取り組んでおり、その成果の一端が報告された。

 「この四半世紀で古代の道がたくさん見つかり、万葉の歌と重なることがわかってきた。その2大集中地が都と大宰府。文学、考古学、歴史、地理などで万葉の故地、万葉人の生活、場の持つ意味を解釈してみようというわけです」。共同研究代表者で福岡県筑紫野市の小鹿野亮文化財課長は、そうねらいを語る。

 万葉集は現存最古の歌集だ。天皇や貴族から名もない庶民まで、20巻4500首以上を収める。大伴旅人(たびと)や山上憶良(おくら)の活躍で筑紫歌壇と呼ばれた九州関連では松浦や博多湾大宰府といった地名がさかんに登場する。

 たとえば大宰府防衛として築かれた巨大な堤防、水城(みずき)は別れの舞台でもあった。大宰府を離れる旅人と遊女の切ない歌も知られ、「水城は象徴的な境界で、旅人の最後のシーンがここと重なるのも偶然ではない」と小鹿野さん。

 一方、松浦は海に面する、現…

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