カナダからやってきた右腕 早稲田に憧れたきっかけは伝説のあの人

編集委員・安藤嘉浩
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 東京六大学野球の秋季リーグ戦は30、31日に優勝をかけた早慶戦が行われる。慶大の春秋連覇か、早大の逆転Vか。第1戦は30日13時にプレーボール。

 カナダから早稲田大学の野球部に憧れて一般入試で入ったユエン賢投手(21)が、神宮球場デビューを果たした。小宮山悟監督(56)に「ユエン、交代だ」と告げられると、「イエッサー!」とこたえ、元気よくベンチを飛び出した。

 10月2日にあった東京六大学野球秋季リーグの東大1回戦、2年生のユエンは初めてベンチ入りし、初登板に備えて六回からブルペンで投球練習を始めた。「準備ができたので、ベンチに戻ってレスト(休憩)をしていた」という七回、先発の徳山壮磨(4年、大阪桐蔭)が足をつるアクシデントに見舞われた。

 そこで小宮山監督から交代を告げられた。「緊張と焦りがものすごくありました」。マウンドに行くと、徳山が「緊張しなくていいよ。やることはいつもと同じ。自分のピッチングをすればいい」と言ってくれて気持ちが少し落ち着いたという。

 七回裏1死三塁、ボールカウントが2ボール1ストライクからの緊急登板。最初の打者には四球を与えたが、次打者を見逃し三振に仕留める。さらに死球で2死満塁になったが、最後も見逃し三振で、初登板を無失点で切り抜けた。

 「自分は感謝の気持ちしかありませんでした。神宮のマウンドに立たせてもらえたこと、そのチャンスをもらえたこと。そして、捕手の岩本さん(久重=4年、大阪桐蔭)が抜群のリードをして下さいました」

 小宮山監督もよほど、うれしかったのだろう。試合後の記者会見の終わりに、「もういいの? ユエンのことを話そうと思ったのにな」と自ら切り出した。

 「早稲田で野球がしたいとカナダから国際教養学部に一般学生として入り、入部したいと。いろんなことがありました。今日は相当な思い出になる1日になったでしょう」

 ユエンはベトナム出身の父と日本人の母の間に生まれ、カナダの首都オタワで育った。小学2年から6年までは母の実家がある東京都台東区で暮らし、小3から地元の「上野クラブ」で軟式野球を始めた。

 その頃、テレビで東京六大学野球を見た。

 「斎藤佑樹さん(2011年早大卒)が活躍していました。自分の憧れの人です」

 母に聞くと、「早稲田はすごくいい大学よ」と教えてくれた。

 小学校卒業と同時にオタワへ戻り、現地で中学と高校に通った。野球を続け、セントジョセフ高校では投手と二塁手をした。シーズンオフにはバスケットボールもした。冬はマイナス30度にもなるオタワはカナダの国技、アイスホッケーが盛んだが、「自分はスケーティングが下手なのでやらなかった」と苦笑する。

 2020年に早大に入学し、野球部の門をたたいた。「大変なことがたくさんありました。向こうではなかった上下関係にも最初は驚きました」「向こうでは普通のことが、日本では失礼になることがある。今でも勉強しています」

 ある日、先輩に「蚊取り線香を買ってきて」と頼まれた。ユエンは何のことか分からない。「そんなときは、同期がいつも助けてくれます。おかげで頑張ることができました」

 日本の学生野球を、どう感じているのだろうか。

 「日本の野球はディシプリン(規律)がちゃんとしていて、尊敬すべき、見習うべきだと思います」

 「まるで新しいスポーツをやっている感じです。野球に対するパースペクティブ(視点)が全然違う。日本の方が技術的に教えてくれ、少しずつ結果も出せているので楽しいです」

 大リーグ経験もある小宮山監督の指導を受けられたのも幸運だった。「英語でもしゃべってくれるので助かります。よく励ましてくれるし、フォームも教えてくれる。カットボールの投げ方も教わりました」

 入学時は130キロも出なかった球速は、2度目の登板となった10月16日の明大戦で143キロを計時した。

 今年に入って環境の変化もあった。

 昨年は小学時代に暮らした台東区の家で、ひとり暮らしをした。9月に1歳下の弟(ユエン凱(かい))が上智大学に入学したこともあり、両親も日本に来て一緒に暮らすことになった。「ご飯はお母さんが作ってくれる。お母さんの料理は全部好き。最高です」

 弟の凱も上智大の野球部でプレーしている。ポジションは同じ投手。一緒にトレーニングをしたり、キャッチボールをしたりすることも。「身長は自分(183センチ)より、弟の方がちょっとでかいです。負けました」と悔しそうに笑った。(編集委員・安藤嘉浩