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不安だったダウン症児の子育て 「話しかけたかった」後悔から挑戦

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後藤隆之
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 「ふー、ふー、ふー」

 「3」のロウソクをのせた誕生日ケーキに向かって、女の子が息を吹きかける。何度も挑戦するが、予想通り、火は消せない。

 そんな姿を見た母の山口郁江さん(36)=名古屋市=は、こっそり息を吹きかけ、女の子に笑いかける。椅子に座る姿をみると成長を感じる。7月6日、3歳になった。

 「君がそばで笑ってくれるだけでいいよ。欲を言えば、病気やけがなく楽しく生きてほしいな」

 長女の紗楽(さら)ちゃん(3)は生まれた直後から、3200グラムの体に、チューブや医療器具がついた。ダウン症合併症のためだ。

 「健康に産んであげられず、本当にごめんなさい」

 山口さんは、申し訳なさがこみ上げた。ダウン症の知識を身につけ、ともに生きていくと決めた。

インスタで知人が増えたけど

 ダウン症について、漠然としたイメージしかなかった。「ただただ、紗楽ちゃんは、どう生きていくんだろうと不安だった」。病院からダウン症のことを聞くが、月齢ごとにどう成長するのか、実際に育てている人に聞きたいと思った。

 紗楽ちゃんが手術した時など医師や看護師に相談したが、個人情報保護の壁があり、ダウン症児の親を紹介してもらえなかった。4回手術したが、知り合った家族はゼロだった。

 インスタグラムで発信すると、全国に知り合いができた。ただ、近所に見つからない。自治体ごとに異なる支援の情報を知りたいのに。

 昨年9月。紗楽ちゃんを連れて大学病院に行くと、小児科の待合室で赤ちゃんを抱いている夫婦がいた。紗楽ちゃんをみて、我が子をみる夫婦。

 「ダウン症なのかな。でも違ったら……」。ダウン症児と受け入れていない夫婦なら、声をかけられて嫌かもしれない。そのまま帰宅した。

娘が生まれたばかりの頃「私を見つけて」と言いたかった

 帰宅後に後悔した。

 「娘が生まれたばかりの頃は、同じ悩みを持つ人に、『私を見つけて』と言いたかった。あの夫婦は、かつての私みたいに声をかけてほしかったかもしれない」

病院で「声をかけられなかった」後悔から、山口さんは「あるもの」を作ることを考えます。記事後半で、山口さんの挑戦を描きます。

 ダウン症児を育てている目印…

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