東映元会長の高岩淡さん死去 名作プロデュース、太秦映画村開業も

 元東映会長の高岩淡(たかいわ・たん)さんが10月28日、肺炎で死去した。90歳だった。葬儀は親族で行った。後日お別れの会を開く予定。

 1954年に東映に入社。京都撮影所長時代の75年に時代劇のオープンセットを利用し東映太秦映画村を開業した。93年から社長、2002~06年に会長を務めた。

 プロデューサーとして「柳生一族の陰謀」「火宅の人」「鉄道員(ぽっぽや)」など多数の作品を手がけ、高倉健ら多くの俳優・監督と親交が深かった。著書に「銀幕おもいで話」(双葉文庫)。

 作家の故檀一雄は異父兄、俳優の檀ふみさんはめいにあたる。

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 高岩さんの訃報(ふほう)を受け、ゆかりの俳優らが追悼のコメントを東映を通じて発表した。

檀ふみさん

 骨の随まで映画人でした。晩年は、自分が関わった時代劇をテレビで見つけては懐かしがっていたそうです。

 私が俳優となってからは、どこへ行っても誰と会っても、「高岩淡さんの姪御(めいご)さん!?」「お世話になりました」「素晴らしい方ね」と、笑顔で迎えられました。そんな叔父を持ったことを、誇りに思っております。いくら感謝しても、感謝しきれません。

松平健さん

 「暴れん坊将軍」が始まった時、高岩さんは東映京都撮影所の所長でした。まだ撮影所に慣れない私を気に懸けてくださり、「暴れん坊」のソフトボールチームを作って試合をしたときには応援に駆けつけてくださったこともありました。明るく優しく豪快だった高岩さん、その温かな笑顔でいつも励ましていただきました。

 高岩さん、ほんとうに有難(ありがと)うございました。

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

富司純子さん

 九州男児で器の大きい方でした。

 ロケに行っても、スタッフや俳優の事を一番に考えてくださって、17歳でデビューして26歳まで東映京都撮影所でお仕事をさせていただき、お世話になり、とても幸せでした。

 生意気にも「淡ちゃん」と呼ばせていただき、「純子ちゃん」とかわいがっていただきました。

 笑顔が忘れられません。

 どうぞ、安らかにお眠りください。