巨大炎に包まれたバーミヤンの大仏 拒めなかった爆破作業、心に穴

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 イスラム教が主流となった今では想像することさえ難しいが、千数百年前のアフガニスタンでは、仏教文化が花開いていた。

 代表的な舞台が、中部バーミヤンだ。断崖に立つ西大仏(高さ55メートル)や東大仏(高さ38メートル)は、西遊記三蔵法師のモデルとされる中国の僧「玄奘(げんじょう)」が探訪記に書き留めたことでも知られる。

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タリバンに爆破される前のバーミヤンの西大仏。高さは55メートルあった=1997年12月

 二つの大仏は戦乱で傷つけられ、風雪にさらされながらも、2001年にイスラム主義勢力タリバンに爆破されるまで1400年以上、バーミヤンを見守ってきた。近年は大仏を再建する案も浮上したが、今年8月のタリバン復権で可能性はしぼんだ。ある時は信仰の対象にされ、またある時は攻撃の的にされた大仏の歩みからは、この国を舞台にした激動の歴史が見えてくる。

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 私が初めてバーミヤンを訪ねたのは17年7月だった。隣国パキスタンのイスラマバードに駐在し、アフガニスタンを担当していた。

 首都カブールからプロペラ機に乗った。西に30分、窓の外には乾燥した茶褐色の山脈が広がっていた。機体が高度を落とし始めたとき、山脈が突然、垂直に100メートルほど落ち込む断崖が現れた。

 幅約1キロにわたり広がる断崖には無数の岩穴があり、特に大きな二つの岩穴が目にとまった。西大仏と東大仏が彫り込まれていた場所だ。爆破された今は、真っ暗な空洞と大仏の残骸が残っていた。

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バーミヤンの仏教遺跡で、西大仏が彫り込まれていた断崖の岩穴(中央)=2017年7月、乗京真知撮影

爆破作業にかり出された地元住民

 大仏が彫り込まれたのは6世紀ごろとされる。シルクロードの中継地にあるバーミヤンは、東のインドの文化が西のギリシャやペルシャ、北の中央アジアと溶け合う「文明の十字路」だった。異なる文化の意匠や色彩を採り入れた仏像や壁画などの仏教美術は中国を通って日本へ伝わり、奈良の大仏や法隆寺の壁画に影響を与えたと言われている。日本の仏教美術のふるさととも言える場所の一つが、このバーミヤンというわけだ。

 大仏の存在が日本に広く伝えられたのは、1887年1月のことだった。朝日新聞が「バミアンの大立像」と題するスケッチを載せてその大きさを紹介。考古学や美術の研究対象となった。

 だが、1970年代後半からは渡航が難しくなった。79年のソ連軍侵攻、90年代の激しい内戦、96年のタリバン政権樹立、2001年の米軍による空爆とタリバン政権の崩壊……。岩穴には世界最古の油絵技法を使ったとされる壁画が描かれていたが、混乱の中で次々にはぎ取られ、日本や欧州の古美術商に売り渡された。

 被害は大仏にも及んだ。01年、偶像崇拝を禁じるタリバンが大仏を爆破した。作業にかり出されたのは、タリバンに捕らえられた地元住民たちだったという。地元住民は、同国で少数派にあたるイスラム教シーア派のハザラ人で、多数派にあたるスンニ派のタリバンから迫害を受けていた。

 私は爆破作業に関わった人を探した。街中の車修理工場で会えたのが、シーア派のハザラ人で修理工のサイード・ミルザ・フセインさん(45)だ。

 ――大仏は地元でどんな存在…

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