その人が貧しいのは努力不足だから? 通俗道徳のわなから抜け出す

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聞き手 編集委員・塩倉裕、田中聡子
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 8月に著名人が生活困窮者を差別し、後に「頑張ってる人もいる」と謝罪しました。貧困と「努力」とが結びつけて語られることで、何が起きているのでしょうか。(聞き手 編集委員・塩倉裕、田中聡子)

はまりがちな「努力のわな」 歴史学者の松沢裕作さん

 努力は必ず報われるとは限らない。その事実をみんな実はよく知っています。では、報われるかどうかを努力と結びつけて考える傾向はどこから来たのでしょう。歴史学の研究成果では、江戸期に発生した「通俗道徳」が参考になると思います。故・安丸良夫氏が主張した学説です。

 通俗道徳とは「人が人生で失敗したり貧困に陥ったりするのは、その人の努力が足りないからだ」とする考え方です。江戸時代の後期に生まれたものとされます。大事にされたのは、勤勉に働くことや倹約をすることでした。

 努力する人が報われる社会が大事だとされる今の状況は、「通俗道徳のわな」にはまった状態に見えます。

 「貧困と努力」を結びつける思想は、どう捉えたらよいのでしょう。記事後半ではジャーナリストの藤田和恵さんが政治家やメディアの責任を指摘。弁護士の竹下義樹さんは「貧しい人はなまくら」という先入観について語ります。

 江戸後期は、様々な商品が売…

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    おおたとしまさ
    (教育ジャーナリスト)
    2021年11月6日20時59分 投稿

    【視点】教育において、大人たちが子どもたちに伝えるべきことは、「努力は結果に表れる」ではなくて、「努力と結果は直線的因果律では結ばれていない。努力する意味は、何を成し遂げたかではなくて、努力する経験そのものにある」であるはずだ。実際おそらく大昔はそ

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    常見陽平
    (千葉商科大学准教授・働き方評論家)
    2021年11月3日20時3分 投稿

    【視点】■『成り上がり』読者として、努力の罠を考える  矢沢永吉を崇拝している。今年はライブチケットが取れなかった。若い頃『成り上がり』を読み、感動した。会社員の頃は、部署に新人が入ってくるたびに、自分のサインを入れ配っていたこともある。永ちゃん