10月31日に投開票された衆院選。岩手3区で、無敗を誇ってきた立憲民主党の大ベテラン、小沢一郎氏が落選した。岩手県政に絶大な影響力を持ち、「小沢王国」に君臨してきた「帝王」の選挙区敗北により、県政に地殻変動は起きるのか。(敬称略)
10月31日夜、岩手県奥州市のホテルに設けられた一室。集まった小沢一郎の陣営幹部は、テレビで開票速報が流れ始めると、次第に無言になっていった。
10万9362票と、11万8734票。半世紀にわたってこの地で17選し、絶対的な強さを誇った小沢はこの日、人生で初めて、敗れた。
小沢は単なる多選の国会議員ではない。「剛腕」「壊し屋」という異名を持ち、長年、政界のうねりを先導してきた。
47歳で自民党幹事長になり、党内で反主流派になると1993年に離党。新生党を結成し、自民党を政権から引きずりおろして非自民の連立内閣を樹立。連立政権時代には政治改革を掲げ、衆院の選挙制度に小選挙区制をとり入れた。03年に民主党と合併し、09年に再び政権交代を果たした。
一方、政治資金規正法違反の罪で強制起訴(その後、無罪が確定)されるなど、政治とカネで疑惑も持たれた。
浮き沈みの中で、小沢から離れる国会議員や地方議員がいても、県内では存在感を保ち続けた。小沢が選挙区に入らなくても、自身や弟子たちを当選させる様子は「神通力」と言われた。だが、近年はじわりじわりと影響力が低下。政策決定に関与できない野党生活が長くなり、子飼いの地方議員は減っていった。自身の選挙区でも、3期連続で復活当選を許していた。
影響力低下の決定打は二つの「1区問題」だ。
一つは衆院1区の階猛を相手どって県連の政治資金をめぐる裁判を起こしたこと。もう一つは、この階に対する「刺客」として女性候補を党公認で擁立しようとしたことだ。党本部は首を縦に振らず、女性は比例に回され、階は訴訟騒動の影響なく、当選した。
かつての小沢なら、党を割って離党していたかも、という声もある。
立憲県連の関係者はこう漏らした。「二つの1区問題は『これは何のための争いだろう。県民のためじゃないのでは?』と感じた人が多かった。結果的に、小沢先生は自滅なされた」
自民の候補、小沢流の選挙
変わりゆく小沢に対し、小沢のノウハウを今回いかしたのが自民の藤原崇だ。
小沢に勝った自民候補の裏には、たもとを分けた元参院議員の存在がありました。17選を支えた支援者の変化もありました。記事後半で説明します。
裏には選対本部長を務めた元…
【視点】 民主党が政権党だった2010年1月から11年8月まで、小沢氏を担当しました。民主党幹事長という絶頂期から、鳩山首相とのダブル辞任、菅(かん)首相と争って破れた民主党代表選、強制起訴、東日本大震災から3カ月後の菅内閣に対する不信任政局・・・