小川洋・前福岡県知事が死去 肺腺がんで3期目半ばで辞任

松沢拓樹、山田佳奈

 福岡県知事を3期目半ばで辞職した小川洋(おがわ・ひろし)さんが2日、死去した。72歳だった。葬儀は遺族で営む予定で、喪主は非公表。今年2月に肺腺がんが判明し、翌月に辞職して療養中だった。

 福岡市出身。1973年に旧通商産業省に入り、特許庁長官などを歴任し、退官後の2007年11月に内閣広報官に就任。11年に麻生渡福岡県知事(当時)の後継として立候補して初当選を果たし、15年の知事選で再選した。

 しかし、2期目途中、これまで支援を受けていた麻生太郎・副総理兼財務相(同)や自民党県連との関係が悪化。19年の知事選では、麻生氏を中心に擁立した元厚生労働官僚に党本部が推薦を出し、小川さんには県選出の一部の自民国会議員らが付いて自民の分裂選挙になったが、前回を上回る得票で3選した。

 公の場で、「福岡は元気になっている」と繰り返し強調。県内人口は増加傾向を続け、県内総生産(名目)は国の平均を上回るペースで成長した。環境関連企業を集める「グリーンアジア国際戦略総合特区」では約1800人の新規雇用も生んだ。

 副知事として支えた服部誠太郎知事は2日、報道陣に「豪雨災害などで自ら現地に赴き、復旧や被災地の復興について陣頭指揮を執って取り組まれた。この姿が非常に印象に残っている」と悼んだ。

 新型コロナウイルスの発生当初から対策に奮闘したが、政府と足並みが乱れることもあった。今年1月に2度目の緊急事態宣言が出る直前、経済への打撃も懸念し、政府に対して「現時点で医療提供体制は逼迫(ひっぱく)していない」と伝えたが、押し切られた。

 高校時代の同級生で、県の新型コロナ感染症調整本部長を務める上野道雄医師は「県内に感染者が出る前から『これは尋常では終わらん。きちんと対処して県民の役に立つことをしないといけない』と話していた」と振り返る。

 小川さんは入院中、見舞いに訪れた上野医師に「県民の信任に応えられなかった。元気になってきちんと謝りたい」と語り、最期までがんの治療やリハビリに取り組んでいたという。(松沢拓樹、山田佳奈)