歩道ふさぐ大きな石仏はなぜそこに? 見つめた時代の流れ

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向平真
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「まだまだ勝手に関西遺産

 京都は寺が多く、仏像も多い。当然、個性的な仏様がたくさんいる。

 しかし、高さ2メートルの石仏が歩道をふさぐように立つ、と聞いて思い当たるだろうか? 車が行き交う、京都市街の幹線道路のすぐ脇だが、案外気づかず通り過ぎる人も多い。

 京都大農学部にほど近い、今出川通の路傍に、この石仏「子(こ)安(やす)観(かん)世(ぜ)音(おん)」は存在する。

 鎌倉時代の作とされ、長年の風雪を耐えてきたためか、顔立ちはおぼろげだ。時の太閤・豊臣秀吉が気に入り、豪華壮麗さで知られた城郭風邸宅「聚(じゅ)楽(らく)第(だい)」に移した時には、帰りたがって夜ごと嘆いたために元の場所に戻された、との逸話も持つ。

 江戸期の観光ガイド本「拾遺都名所図会(ずえ)」では「希代の大像」として紹介されている。由緒があり、今も地域の信仰はあついという。

ぎりぎりサイズのおうち

 ところが、この石仏、存在感が薄い。近くを歩いても、その大きさに気づきにくく、写真に撮れば、こぢんまりと見える。

 理由は、石仏を覆う建物にあるようだ。堂々たる大きさに似合わない、高さも幅もぎりぎりのサイズ。石仏の顔を写真に収めようとすると、屋根が邪魔する。離れて撮影すると、建物ばかりが目に入る。

 大きな仏像に似合わない、小さなおうち。いったいいつ、誰が建てたのだろう。

 地元の北白川各種団体連絡協…

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