初の「4勝」、強敵「野党共闘」を破った自民の勝因は
【長野】衆院選で自民党は、県内五つの小選挙区のうち4選挙区で勝利した。民主党(当時)から政権を奪い返した2012年でさえ「3勝」にとどまっており、「4勝」は1996年に小選挙区制となって以降、初めてだ。かつてない「大勝」の背景とは。
1区
10月31日深夜、「1区当選確実」が報じられると、自民新顔の若林健太氏は長野市内のホテルで、満面の笑みで支援者と抱き合った。
1区は民主党政権が誕生した2009年以降、今は立憲の篠原孝氏が4連勝。前回の17年は、4万票余りの得票差をつけられた自民候補が比例復活すらできない完敗だった。
その1区で今回、何があったのか。若林氏の陣営幹部は、組織固めの徹底を図ったと明かす。従来、自民が特に劣勢だった、長野市以外の各市町村に改めて支部を置き、同じ自民でもバラバラだった国政選挙候補や県議らの後援会などの連絡ルートを一本化し、公明も含め連携を密にした。
また、コロナ対策で党幹部の応援を拒んだ篠原氏とは対照的に、若林氏は選挙期間中に党の閣僚経験者らと精力的に遊説。1日数十カ所に上る街頭演説で、篠原氏の地盤の切り崩しも図った。「今までにないほど一枚岩で戦えた」(陣営関係者)。選挙区内の10市町村のうち、須坂市や山ノ内町など篠原氏が強い地域も含む7市町村で若林氏の得票が上回った。
3・5区
3区を自民候補として初めて制した井出庸生氏は、「与党」を前面に出した。選挙戦で、野党公認で当選した前回衆院選の後で自民に移った経緯を批判されたが、その説明で繰り返したのが「与党の実行力」。
陣営幹部は、東日本台風など近年相次いだ災害からの復旧への期待感が県内の与党候補に追い風になったと分析し、「3区で与党の代議士がほしいという期待の表れ」と勝因を語った。実際、選挙期間中は選挙区内の大半の市町村長が街頭演説に同行し、井出氏への支持を呼びかけた。
争った立憲の神津健氏の地盤、上田市でも1千票余り差の接戦で、井出氏の陣営幹部は「圧勝だった」。
6度目の当選を果たした5区の宮下一郎氏は、今回は集会などで、憲法や安全保障などをめぐる野党間の立場の違いを挙げ、「とても政権を任せられない」と訴えた。
過去の選挙で、相手候補への批判はしてこなかったという宮下氏。しかし今回は、野党側の候補一本化で、5区では初の「与野党一騎打ち」になった。野党共闘への批判により、支援者に「地域が大きく変わってしまうのはねえ」という受け止めが広がったと陣営幹部はみる。
さらに宮下氏の陣営幹部も、与党として地元事業への「貢献」を強調したことを要点に挙げた。三遠南信道やリニア中央新幹線関連の道路整備などの予算獲得を選挙戦で訴え、支持拡大の手応えを感じたという。
3候補で争った前回、宮下氏の得票はわずかに過半数まで届かなかった。それが今回、選挙区内の22市町村のうち、得票数が立憲の曽我逸郎氏を下回ったのは2町村だけだった。(遠藤和希、滝沢隆史、松下和彦)
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朝日新聞による衆院選での出口調査で、投票した人に岸田文雄内閣への評価を尋ねたところ、「支持する」が「支持しない」を21ポイント上回る59%だった。こうした内閣支持層の67%が小選挙区で自民候補に投票しており、堅調な内閣支持が県内の自民勝利を後押しした一因とみられる。
調査は、衆院選の投票日だった10月31日に県内150カ所の投票所で行い、6599人から有効回答を得た。
新型コロナウイルスをめぐる、これまでの政府の対応についても、「評価する」が54%で「評価しない」の43%を上回っており、一定の評価を得ていたことが分かる。
また、自民支持層(全体の39%)のうち小選挙区で自民候補に投票した割合をみると、激戦を制した1区で88%、3区と5区では89%に上った。公明支持層(同5%)で自民候補に投票した割合は、1区が78%、3区が71%、5区が79%だった。
一方、無党派層(同16%)が自民候補に投票した割合は、1区は13ポイント、3区は8ポイント、5区は20ポイント、それぞれ立憲候補に投票した割合を下回っていた。
自民候補は、無党派層への浸透で立憲候補に劣る分、自らの支持基盤を手堅くまとめて勝利に結び付けていた。(清水大輔)
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