川崎フロンターレの優勝手記を旗手怜央に依頼 涙の理由を知りたくて

東京スポーツ部 辻隆徳
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 あの日の涙の理由を知りたかった。

 サッカーJ1川崎フロンターレが3日、2年連続4度目のリーグ優勝を果たした。新聞社では優勝時、選手に手記を依頼することがある。選手自身の言葉でシーズンを通して感じたことを語ってもらう。

 私は迷わず旗手(はたて)怜央(れお)にお願いした。取材した試合で、強く印象に残った場面があったからだ。

 順天堂大卒でプロ2年目の旗手は今季、チームを引っ張った一人だ。DFからFWまでこなす万能型の選手で、今夏の東京五輪代表にも選出された。

 五輪から帰ってきて、2試合目の出場となった8月21日のサンフレッチェ広島戦。アウェーで1―1と引き分けた。チームは後半、同点に追いつき、底力を見せた。旗手もフル出場し、気迫あふれるプレーを見せていた。にもかかわらず、試合が終わりベンチに戻ると涙を流していた。

 悔しさからだったのか、それとも、別の理由だったのか……。コロナ下の取材制限もあり、試合後、旗手に真意を聞くことはできなかった。

 手記でこの時を振り返ってもらった。「僕がどうにかしないといけないと気負いすぎていた部分があった」という。

 チームは大きな転機の中にいた。同じ東京五輪代表で、攻撃の要だった田中碧(あお)と三笘(みとま)薫が海外へ移籍した直後で、「2人の穴を埋めないといけないという思いがあった」。責任感からこぼれた涙だった。

 試合後、旗手は34歳の小林悠の言葉で「気持ちの整理ができた」と明かした。どんな言葉だったのか。

 「負けたり引き分けたりしたからって気にしないでいい。一喜一憂するな。そういう責任は上の選手や監督が背負えばいいんだから」

 川崎は5年で4度のリーグ優勝に輝き、今でこそ常勝軍団に成長した。その中で小林は2桁順位もあった苦しい時代も経験した数少ない選手だ。酸いも甘いも知っているベテランが、どっしりと屋台骨を支える。そして、旗手のような若手ですら涙を流すほど勝利に執着する。手記を通して、強さの理由を垣間見た。(東京スポーツ部 辻隆徳)

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