数年の努力が水泡に帰した日、救ってくれた宝塚 山本茜の截金ガラス

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田中ゑれ奈
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 何年もの試行錯誤の果てに、やっとつかんだ成功が水泡に帰した日、魂を救ってくれたのは――。夢の舞台さながらにきらめく山本茜(あかね)の「截金(きりかね)ガラス」は、人知れず血のにじむ努力と執念から生まれてくる。

運命的な出会いと幾多の失敗を繰り返し、截金ガラスの技法を生み出した山本茜さん。「死にたいぐらい落ち込んだ」時に支えになったのは、大好きなトップスターの輝きでした。

 大学入試センター試験の目前、帰り道で一枚の展覧会ポスターに吸い寄せられたのが「運の尽き」だった。上村松園が「花がたみ」で描いた狂女の目は、勉強漬けで憔悴(しょうすい)した自分とあまりに似ていた。美術館を出た足で学校へ引き返し、京都大学で提出していた志望校の変更を宣言。周囲の猛反対を押し切り、わずか1カ月弱の準備で京都市立芸術大に合格を決めた。

 めざすはもちろん上村松園。だが、当時は暗く重厚な画風がトレンドで、松園風の清澄なタッチは全否定された。ほどなく心を病んで休学中、カリキュラムの隅に見つけた「模写・水墨画」コースに転科。平安期の仏画の模写に取り組む中で、細く切った金属の箔(はく)で文様を表す伝統技法・截金を知った。

 「医学も発達していない時代、仏様にすがる職人たちの切実な思いがひしひしと伝わってきた」。大学には截金の教員がおらず、金泥で代用していることに不満を覚えた。截金の人間国宝・江里(えり)佐代子に手紙攻勢を経て弟子入りし、週末には古画模写の第一人者・林功(いさお)を訪ねて京都から愛知へ通った。

 卒業後は林が取り組む源氏物語絵巻の復元模写を手伝うつもりだった。だが、山本が4回生の11月、林は中国で交通事故に遭い死去。師を失ったショックで絵が描けなくなっても、截金の修業は無心で続けられた。1年が経つころ、江里から京都造形芸術大(現・京都芸術大)で立ち上げる截金ゼミに誘われ、非常勤講師として就職した。

 技を磨く日々は楽しかった。だがやがて截金は日本画と違い、あくまでも装飾技法であるという事実に直面し、がくぜんとする。「何かを表現したかったのに、どう頑張っても主役ではない。技術が自由になってこれからという時に、めざしていたものと好きなものが違うことに気がついた」

 木工に陶器、絹織物。素材を…

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