「気絶するほど…」で悩んだChar 大物が語った「スターの条件」

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寺下真理加
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 洋楽のロックギターから強い影響を受けた洗練された技巧と感性で、多くの日本の若者をエレキギターの世界に引き込んできたギタリストでロックシンガーのCharさん(66)。12月11日にはデビュー45周年の記念ライブを開く。自分が追い求める芸術と、売れることがすべての芸能界の間で板挟みになっていた当時、「ある大物」から気づかされたことがあった。それがコロナ禍を経験したいま、より深く理解できるという。

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 8歳から見よう見まねでギターを弾き始め、10代でスタジオミュージシャンに。アメリカからバンドメンバーを連れてきて1976年、渾身(こんしん)のファーストアルバム「Char」をリリースした。当初、Char(チャー)はバンドの名前で、アルバム名でもあった。

 ところが、時代は歌謡曲やテレビの歌番組全盛。アルバムは売れなかった。ならば自分自身が渡米しよう思った矢先、作詞家・阿久悠との出会いがあった。「ロックを日本語で歌ってもいい」と思っていたこともあり、翌77年、新曲「気絶するほど悩ましい」を発表する。バンドメンバーはアメリカに帰ったり、別の仕事に就いたりし、事実上のソロに。

 「自分なりに悩んだ。自分の求める芸術と、他人が求める芸能の間で。俺はこんな風に、手を変え品を変えしてまで、日本の芸能界で生きていきたいのか、って。阿久さんは演歌からピンク・レディーまで何曲もヒットチャートに抱える人……。とはいえ、どうせ売れねえだろ。そう最初は思っていたのですが」

 予想は外れた。新しいプロダクションに入ると、パーマ屋に連れて行かれて髪の毛を切られ、スーツを着せられた。自分の考えを言うたび「タレントがそんな口をきくもんじゃない」と、「僕の音楽どころか、僕という人間そのものを否定された」。

 それだけではない。新曲はヒットし、日比谷公会堂で開かれたコンサートで幕が開くと、客席には「キャー」と叫ぶ女の子ばかり。視界のどこにも男がいない。「アルバム全部を歌謡曲にしたつもりはなかった。僕に影響されてギター買った男の子が実はいっぱいいたと分かるのは、後のことでした」

 「辞めたい」と言うと、プロダクションの社長は「やめるというなら、二度と芸能界でお前ができないようにしてやる。出す人、出すぞ」と言う。出す人? どんな怖い人か偉い人か知らないが、その人物に「追放」を言い渡されれば、こっちもあきらめがつく、と思った。

 現れたのは芸能界の大物。有名なプロダクションの社長だった。

 彼はこう言った。「俺もバン…

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