「死にたくない」叫んだ私を救った夫婦 あの日の空港、唯一の米国人

有料記事

編集委員・石橋英昭
[PR]

 米国ボストン大のマイケル・メンディロ教授(77)は、水星、火星、木星を研究する天文学者だ。2011年3月8日から11日まで東北大で開かれた惑星科学のシンポジウムの出席を終え、仙台空港宮城県名取市岩沼市)から帰国の途に就こうとしていた。

 16時発の成田便までは時間がある。ターミナルビル3階のコーヒーショップでパソコンを開き、火星の電離層に関する論文に手を入れていた時。

 ビルの大天井がきしみ始め、火花が飛び散る。耐えられないほどの揺れが続いた。鉄の塊が落ちてきやしないか。

 何度か叫んでいた。

 「きょう死にたくない!(I did not plan on dying today!)」

 東北では2日前の3月9日昼も大きな地震が発生した。その夜、旧知の大学教授の自宅に夕食に招かれ、30年以内に宮城県沖地震が起きると聞かされた。10日朝も余震でホテルの17階が揺れた。

 もうこんな所にはいられないと、帰国便を1日早めたその日に、特大のヤツが来るなんて。

 避難放送は日本語だけだった。いったんビルの外に出た後、航空会社で働いていたという男性が英語で教えてくれた。「30フィートの津波が来るらしい」

 ビルの中に戻ってまもなく、滑走路に水の塊が押し寄せてきた。人々は3階に駆け上がり、押し合うこともなく、頭上に掲げた携帯電話のシャッターを切り続けた。

 津波に囲まれた空港ビルには、旅行者や住民、空港職員ら1695人が取り残された。教授は、ただ一人のアメリカ人だった。

    ◇

ああ、これが日本人の美徳か

 地震でパニックに陥ったメンディロ教授に、声をかけてきた夫婦がいた。

 ヨシとエイコ、鳴子温泉に団…

この記事は有料記事です。残り929文字有料会員になると続きをお読みいただけます。
今すぐ登録(1カ月間無料)ログインする

※無料期間中に解約した場合、料金はかかりません