歴史学者やめました 違和感を抱く僕を救った恩師の言葉

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坂本哲史
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 「目から鱗(うろこ)」の視点で日本史を描き直す『中国化する日本 日中「文明の衝突」一千年史』(2011年)で、気鋭の歴史学者と呼ばれた與那覇(よなは)潤さん(42)。重度のうつを体験した後、歴史学者を廃業すると宣言しました。どんな思いが?

 『中国化する日本』から10年。今年8月に刊行した『平成史――昨日の世界のすべて』を、歴史学者としては「最後の書物」と位置づけている。

 これからはどう呼べば?

 「評論家、でお願いします」

 歴史学者を廃業した直接のきっかけは、双極性障害による重度のうつを患い、入院とリハビリを経て、公立大学の准教授を辞したこと。だが、それ以前から歴史学者のあり方に違和感は膨らんでいた。

 自分の授業に出れば100%本物の歴史に触れられるという態度で教える学者もいるが、「歴史像とは常に更新される暫定的なもの。それを伝えるのが大学だったはずでした」。自説の正しさを証明するため、先達の功績を全否定する姿勢も性に合わなかった。「先行世代の主張を乗り越えてはじめて、業績として認められるというのは分かる。それにしても……」

 そんなときに記憶の底からよみがえったのが、東京大学の院生時代、ゼミの飲み会で、指導教授だった歴史学者の三谷博さんがふと口にした言葉だった。

 「僕たちなんかが先生(教授…

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