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第7回うつ病に悩む母の聞き役、ケアだと思ってなかった あなたも気づいて

聞き手・畑山敦子
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 母がうつ病とパニック障害を発症した時、中学生だった坂本拓さん(30)=神奈川県=は、悩みを周りに話せず、家族だけで支えていた。いまは精神科ソーシャルワーカーとなって障害のある当事者を支援しつつ、「精神疾患のある親をもつ子どもの会『こどもぴあ』」代表も務める。家族をケアする当事者が「自分のことだ」と気づくために必要なことを聞いた。

――坂本さんは中高生の頃、お母さんをケアしているという意識はありましたか

 その頃は自分がケアラーだとは思っていませんでした。ヤングケアラー経験があるほかの人たちと同じです。

 中学2年の頃、母が少しずつ精神的に不安定になりました。父とけんかした衝動でリストカットをし、母は「体調が悪い」と言って寝ていることが増えました。母はうつ病などの診断を受けていましたが、僕や姉は当初知らされていませんでした。父と姉は家を出ていき、母と2人暮らしになった高校2年の時、母からうつ病であることを打ち明けられました。

 家では、母が感じる経済面や将来への漠然とした不安、生きるつらさなどをずっと僕が聞いていました。こうした不安に向き合うのは、ヤングケアラーが担っていることのひとつ、「感情面のサポート」です。

 母の話を聞いていると、自分自身の感情も薄暗いところに引っ張られるようなしんどさがありました。母が心配で、放課後もすぐ帰宅するようにしていました。でも自分がしているのはケアだという意識はなく、誰かに話すことはありませんでした。

――ソーシャルワーカーになることを決めたのは

 元々、自動車整備士を目指して高校の工業科で学んでいましたが、母に向き合ううちに、病気のことを理解しようと思うようになりました。それで精神保健福祉士の資格をとるために専門学校に進学しました。

 周りの多くが就職する中で別の分野に進む理由を先生に聞かれましたが、母のことは言いませんでした。精神疾患について、自殺や犯罪などマイナスなこととひもづけられた情報を目にすることが多く、母のことをそう見られたくなかったんです。人に相談しないことにだんだん慣れていきました。

 資格をとり、働くようになって、精神疾患への理解や視野が広がりました。

――なぜ自分の経験を語るようになったのですか

 もう10年くらい前になりますが、働き始めた頃、身内に精神疾患のある人がいる家族会に初めて参加しました。同世代の人から家族を支えた体験を聞いたのも、その時が初めてです。「うちと似てる」と感じ、自分の体験を振り返るきっかけになりました。そこから少しずつ前を向けるようになり、2015年にこどもぴあを立ち上げました。

 僕が実名で自分や家族のことを話すようになったのは、こどもぴあの活動を始めてからです。ヤングケアラーや、精神疾患のある親がいるケアラーへの認識が深まってほしいと思いながら、語っています。

 精神疾患への偏見や複雑な思いを言葉にする大変さもあり、こどもぴあに参加している人全てが自分の経験を発信したいわけではありません。僕のように経験を話せる人が伝えることで、自分がヤングケアラーだとは認識していない当事者が「これって自分のことだ」と気づくことにつながってほしいと考えています。

 当事者が担っている役割や家族への気持ちはさまざまです。ケアしたい時もあれば、やりたくないと思うこともある。教科書みたいな説明ではなく、複雑でいいんだと伝えたいです。

――ケアをしている子どもたちに向けて語っている、と

 併せて、周りの人たちに当事者の思いを知ってほしいとも思っています。

 大事なのは、ヤングケアラーがどのような存在かを知ってもらうこと。国や自治体の支援策でヤングケアラーの認知度の向上が掲げられていますが、「ヤングケアラー」という言葉の認知度が上がるだけでは不十分です。

 ヤングケアラーの状況はそれぞれ異なります。僕自身の体験も、あくまで「僕の場合」。僕は主に母の話を聞くことだったけれど、もっと大変で、ケアを担うことで学校に行けなくなっている人もいます。「ヤングケアラー」の言葉でひとくくりにして一面的な見方をするのではなく、それぞれの子や家族を見てほしいです。

 一部の地域で、学校の授業で当事者が語る取り組みが始まっています。こうした取り組みを通じて、生の声が伝わることは大事だと感じます。

――子どもが担うケアも多様です

 聴覚障害のある家族の通訳をしてきた同世代と交流したこともありますが、ケアする内容は違えど、共感しあえるものがありました。外国にルーツがある家庭の子が通訳をするなど、さまざまなケアを担っている子がいることも知られてほしいです。

――相談や支援体制について望むことは

 子どもが自ら家族を世話している状況に疑問を持っていない場合、自分から相談することは簡単ではありません。個人的には、ヤングケアラーの相談窓口ができても、当事者の子どもからの相談はすぐに増えないのではと思います。

 学校現場や、これまでも子どもを支援している機関が気づき、1人でがんばろうとしなくてもいい、実はこんなサポートがあると伝えること、支援を調整していくことが大事です。本人の気持ちを聞き、何をサポートしてほしいか、子ども自身がやりたいことは何か、子どもの選択を応援できるような視点で支える仕組みができてほしいです。

 ――支援する際に大事な視点は

 子どもだけでなく、家族を丸ごと支えることです。病気や障害を抱えた家族もまた、サポートを必要としています。

 僕の場合、母は通院し、精神障害者保健福祉手帳も取得していました。ただ、福祉サービスは使おうとせず、僕も使えると知らなかったので、感情面のサポートができるのは家族しかいないと思っていました。

 振り返ると、自分で抱え、孤立を深めていました。障害福祉サービスや電話での相談支援があることを知ったのは、精神保健福祉士になってからです。もしあの頃知っていたら、と思います。

 厚生労働省のヤングケアラーのプロジェクトチームが5月に公表した報告に、「子どもを『介護力』とすることを前提とせず」と書いてあります。介護や障害福祉の現場では家族をアテにしがちなので、この指摘は重要です。

――ヤングケアラー、さらに18歳以上の「若者ケアラー」の自立も課題です

 家族を支えている子の自立は、難しい問題です。

 僕は母と同居したまま、精神障害者の地域生活を支援する法人に就職しました。社会人1年目に金銭的な事情で引っ越しが必要になり、僕が家を出ることになりました。母を近くで支え続けて自分の人生はどうなるのかと、自立したい気持ちが高まっていた時期でした。

 悩んだ末に母に「家を出たい」と切り出したら、「あなたの人生を応援します」と言ってくれました。親として、僕の気持ちを尊重してくれたと思います。

 僕と、先に家を出た姉が、母とまめに連絡を取り合い、時には家に行くことで、母はなんとか一人暮らしできています。家を出て、母の気持ちの波に揺さぶられずにいると、人生がこんなに豊かになるのか、というのは発見でした。

 一方、責任感や家族からの期待を感じて家を出られないという人、離れてもケアの責任が続く人もいます。自分がいないと家族のケアや家事が回らないのではないかと思いがちですが、介護、障害福祉などのさまざまな社会資源を使って、自分がやらなくてもいい環境をつくってほしい。あえて近くにいなくても、必要な時には支えられます。支援者は使えるサポートを積極的に伝えてほしいです。

――こどもぴあなど当事者同士が悩みや経験を語って支え合う「ピアサポート」の意義は

 2015年に東京でこどもぴあの活動が始まり、その後は関西や北海道などでもそれぞれ活動の輪ができました。精神疾患のある親がいる人同士が、年に数回話し合う機会や、SNSで情報交換しています。ヤングケアラーは学校や社会、いろいろなところから孤立していると感じます。その孤独感は18歳を過ぎても続きます。各地でこどもぴあとして活動する団体には、過去にケアラーだった人を含め、さまざまな世代が参加しています。

 そこに支援する側、支援される側という関係はなく、お互いに支え合うためにつながろうとしています。ヤングケアラーが担う役割を軽くするような解決にはつながらないけれど、わかりあえる人に出会うことで、一人ではない、自分がやってきたことに意味はある、と気づける場は必要だと思います。(聞き手・畑山敦子

【ヤングケアラー支援 国の方針は】

・実態調査・支援研修の推進

・民間団体などと連携し福祉サービスにつなぐコーディネーターを配置する自治体に助成

・ピアサポートなどの支え合いや悩み相談をする団体の支援、当事者同士が経験を話すオンラインサロンを設置運営する自治体に助成

・家事やきょうだいの子育てを助けるヘルパーの派遣

・ヤングケアラーについての社会的認知度の向上

(2022年度予算概算要求から)