長崎名物「カギ尻尾」の猫、どこから来た? そのルーツを探った

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文・写真 太田匡彦
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 鉤(かぎ)に似たその形から、幸運をひっかけてくるといわれる「カギ尻尾」の猫。国内では長崎で特に多く見られます。なぜなのでしょうか。ルーツを探ってきました。

長崎では全国の「2倍」の割合

 日が傾き始め、路地に影がのびてくると、1匹、2匹と猫が姿を現す。人の姿があっても気にせず、ゆうゆうと歩いていく。

 長崎市の中心部、眼鏡橋にほど近い寺町通りや中通り商店街で何匹もの後ろ姿を見送っていると、独特の形をした尻尾が多いのに気付く。途中で折れ曲がっていたり、先端が丸く縮まって短かったり。ものをひっかけるのに使う鉤に似た形から「幸運をひっかけてくる」と言われる、いわゆる「カギ尻尾」の猫たちだ。

 1975年から数十年にわたって日本中の猫を調べた学者がいる。京都大学教授などを歴任した故・野澤謙氏(集団遺伝学)。生涯で観察した猫は5万匹を超える。野澤氏は、尾が曲がっていたり短かったりする「尾曲がり」の遺伝的骨格奇形を持つ猫が偏在していることを突きとめた。全国平均ではおよそ40%が尾曲がりだったのに対し、最も多い長崎ではその2倍、79%に達する。

 なぜ長崎なのか。尾曲がり猫たちのルーツを探るため、長崎の歴史に詳しい木村直樹・長崎大学教授(日本近世史)を訪ねた。「港湾都市としての歴史と大いに関係があります」と言う木村教授の話は、戦国時代末期にさかのぼる。

 織田信長による比叡山焼き打ちなどが起きた1571(元亀2)年、長崎港に初めてポルトガル船が来航した。キリシタン大名である大村氏の領地内で、喫水の深い船が停泊できる水深を持ち、当時の航海技術でもたどり着きやすいという「政治的、地理的、技術的条件を満たしていた」(木村教授)のが長崎だった。

歴史の「生き証人」

 江戸時代に入ると徳川幕府は、貿易や外交を管理下に置くため「出島」の建設を始める。並行して、日本各地で貿易をしていた唐船(とうせん)についても、入港地を長崎に集約。一方、島原の乱を受けてポルトガル船を追放。かわりに1641(寛永18)年、平戸からオランダ東インド会社の商館を出島に移設する。こうして国内で長崎にだけ、オランダ船と唐船が来航するようになる。

 実はこれらの船、多くが東南…

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