被爆樹木、長崎市が18年ぶり指定へ 母の思い出詰まったカシの木も

榎本瑞希
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 長崎市内の樹木2本が新たに市の「被爆建造物等」に指定される見通しとなった。16日、樹木医や被爆者団体の代表らでつくる市原子爆弾被災資料審議会が承認した。市によると新たな指定は2003年以来。

 指定されるのは同市千歳町のカシと、同市三原2丁目の柿の木。現地調査で、被爆当時の樹木だと確認された。被爆の痕跡が希薄な「Cランク」に分類され、樹木医の巡回や治療費助成の対象はならなかった。

 指定は建築物や工作物、植物が対象。審議会は2019~21年に市に情報提供があった橋1件と樹木6件を調査・審議した。被爆樹木は今回で32件に増える。

 長崎市千歳町のカシの木は、爆心地の北1・8キロの高台にある有馬紀美子さん(87)方に立つ。幹には縦長の亀裂が走り、傷口を挟むように厚い樹皮が覆う。有馬さんはその傷を、約30年前に亡くなった母・ツギさんに重ねる。「母もやけどの痕がふくれて残った。『あんたも一緒にやけどしてきつかったね』と木をなでていました」。

 1945年8月9日、西浦上国民学校の6年生だった有馬さんは登校準備中に自宅の軒下で材木の下敷きになった。近くの畑に出ていたツギさんは熱線を直接浴び、全身にやけどを負った。自宅に帰り着いた母の顔は腫れ上がり、誰か分からなかったという。火のくすぶる服を有馬さんが脱がせ、防空壕(ごう)にしまっていた毛糸の着物で体を覆った。

 年が明けるまで、ツギさんは寝たきりで過ごした。後年も傷痕に「張り裂けるような痛み」を訴え、買い物に誘っても「(一緒に歩くのが)恥ずかしいだろう」と外出を嫌がることもあったという。

 木をなでる母を見て、有馬さんは「カシの木に言ったって分からないのに」と思っていた。「今になって思うと、苦しい気持ちのはけ口がなかったのだと思います」。自宅はマンションに建て替えたが、庭木は同じ場所に残してきた。

 被爆樹木の指定について知り、2年前に市に連絡した。有馬さんは「私もいつまでいるか分からない。何とか母の思いを残したい」と話した。(榎本瑞希)