第76回【新聞と戦争・アーカイブ】イベントは過熱する:8
【2007年6月14日夕刊3面】
生涯に5千曲を書いたといわれる作曲家古関裕而(こせきゆうじ)にとって、二度と聴きたくない曲があった。太平洋戦争後半期の「比島決戦の歌」だ。
1944年秋、米軍はレイテ島に上陸、フィリピンが主戦場になる可能性が高まった。読売新聞は日本放送協会と共同で新作の戦時歌謡を西条八十(さいじょうやそ)(詞)と古関(曲)に依頼した。
詞ができて、軍関係者らとの打ち合わせの席でのこと。ある将校は、日露戦争時の歌「水師営の会見」には敵将ステッセルの名が入っている、この際、敵のニミッツとマッカーサーの名を入れてくれ、と強硬に主張した。
抵抗する西条は押し切られ、「いざ来いニミッツ、マッカーサー 出て来りゃ地獄へ逆落とし」という、すさまじい歌詞になった。(古関の自伝『鐘よ 鳴り響け』など)
戦争が終わって、そのマッカ…