第84回【新聞と戦争・アーカイブ】表現者たち:1

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【2007年10月15日夕刊3面】

 中国・杭州は南宋の首都で、風光明媚(ふうこうめいび)な古都として名高い。市内に西湖と呼ばれる湖があり、春の柳や桃がとりわけ美しい。

 南京を占領した日本軍は1937年12月末、杭州に入った。文芸評論家・小林秀雄が文芸春秋の特派員として杭州を訪ねたのは翌年の3月、湖岸に桃の花が咲き乱れる頃だった。杭州駐留の陸軍伍長・玉井勝則(火野葦平)に芥川賞を授与するためだった。手にしていたのはスイス製モバードの懐中時計だ(『火野葦平選集』)。

 北九州・若松の港湾荷役業・玉井組の跡取りである葦平は、早稲田大学英文科を中退後、家業を継いだ。筑豊炭田から出る石炭を港で荷積みする男たちを束ねる仕事だ。

 盧溝橋事件発生2カ月後の37年9月、応召し、書き続けていた小説「糞尿譚(ふんにょうたん)」を地元の同人誌に書き残して出征した。

 この作品が中央文壇の目にとまった。糞尿汲み取り業をめぐって業者や役人、地方政治家がてんやわんやの騒ぎを起こす物語で、題材が珍しいうえ、馬力のある文章が注目された。無名新人の発掘、顕彰という芥川賞の趣旨にもふさわしかった。一方で、別の授賞理由があった。

 文芸春秋社長で芥川賞の生みの親である菊池寛は書く。「作者が出征中であるなどは、興行価値百パーセントで、近来やや精彩を欠いてゐた芥川賞の単調を救ひ得て充分であつた」(『文芸春秋』38年3月号「話の屑籠(くずかご)」)

 鋭利な批評家として知られる小林を中国に派遣、現役の兵隊である作者に陣中で賞を授与する。話題にならないわけはない。

 火野の上官は、授賞式のために兵隊を部隊の中庭に並ばせた。軍服姿の火野は、従軍記者の腕章をまいた小林から賞を受け取った。

 朝日新聞は「『糞尿譚』の栄冠 陣中に戴(いただ)く」と写真つきで報じた。芥川賞も葦平も、またたくまに有名になる。菊池の思惑通りだった。新人作家の登竜門にすぎない芥川賞が、ニュースとして大きく報道されるのは、このときからだ。

 葦平は当時31歳、兵にもっとも近い下士官の伍長だった。杭州湾で敵前上陸を敢行、その後、南京を経て、杭州に入った。胆力のある下士官で、兵隊から頼りにされていた。

 芥川賞をきっかけに「麦と兵隊」「土と兵隊」「花と兵隊」の兵隊3部作を書き、銃後の国民から大人気を博し、一躍、花形作家になった。陣中から朝日と毎日に同時に新聞連載を送る、という離れ業も見せた。40年、3部作で朝日文化賞を受賞する。

 作家とメディアは、戦争とどうかかわったのか。葦平らを通して振り返る。(敬称略)

 (このシリーズは牧村健一郎が担当します)

連載新聞と戦争アーカイブ(全107回)

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