第86回【新聞と戦争・アーカイブ】表現者たち:3

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【2007年10月17日夕刊2面】

 1938年8月23日、内閣情報部は、菊池寛久米正雄ら作家と陸海軍将校を情報部に呼んだ。席上、来るべき漢口攻略戦に作家の従軍を提案した。火野葦平の『麦と兵隊』が爆発的に売れているのを見て、作家の動員を決めたといわれる。日中戦争が始まって1年、日本軍は前年12月に首都南京を占領したものの、中国政府は内陸に避難し、揚子江中流の要衝・漢口の攻略が次の目標になっていた。

 陸軍は、こんどの作戦の報道・宣伝を大々的にやるつもりだった。内閣情報部には「事変以来動(やや)もすればニュースに対する国民の信用度低下し、支那側及第三国側よりするデマに乗ぜられ易(やす)き傾向ある」(「漢口作戦に伴ひ政府の行ふべき宣伝方策」)という危機感もあった。新聞、通信社もこの作戦に大動員され、朝日は記者、カメラマン、映画班、連絡員ら約400人が参加した。

 窓口になった文芸家協会会長の菊池は作家たちに速達を出す。意外にもほぼ全員が賛同の返事だった。陸軍は久米、尾崎士郎ら14人、海軍は菊池、佐藤春夫ら8人の従軍が決まった。

 作家にとって戦場は魅力的だ…

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