産むか、産まないか。その選択は不可侵の権利なのか。政治や司法が介入すべきことなのか。命の始まりはいつか。受精時か、誕生時か、あるいはその間か。
人工妊娠中絶は、答えの出にくい問いをいくつも投げかけてくる。
厚生労働省によると、日本で2020年に実施された中絶は14万5340件。1日に平均400件ほどになるが、日本ではその是非が真正面から問われることは少ない。タブー視されている、とも言える。
ところが米国では、中絶に関する意見がそれぞれのアイデンティティーのように語られる。大統領選などで、最も重要な問題の一つとして挙げる有権者は多い。宗教も絡み合い、日本では考えられないほど、議論が激しく続いている。
米国社会を取材対象とする私にとって、人工妊娠中絶は長らく取材したいテーマだった。
なぜ、米国ではこれほどまでに意見が分かれ、政治化されるのか。それが知りたかった。
そして、その是非について、個人的にも深く考えたかった。
私の母は妻子のある男性と恋に落ち、未婚のまま、10年間で4人の子を産んだ。周囲からは何度も「育てられるのか」と疑問を投げかけられたそうだが、譲らなかった。
その理由については「愛の結果だから」と言う。
「命は奇跡。受精した瞬間から命になる」。幼い頃から、何度も聞かされた。
改めて母に聞いてみた。当時、中絶は選択肢になかったのか。
すると、「私は考えたことが…