第2回結婚許されず心中図り、取り留めた一命 軍国青年は反核運動の旗手に

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 10月24日に亡くなった広島の被爆者坪井直さんの死因は、長年苦しめられてきた貧血による不整脈だった。96歳という年齢は天寿をまっとうしたように見えるが、この間、十数回の入退院を繰り返し、被爆10年目、18年目、23年目の3回は危篤状態となって、家族は死を覚悟した。病名は、慢性再生不良貧血、狭心症大腸がん前立腺がんなど。生涯、造血剤を手放せず、病の治療に多くの時間を費やした。

 「原子爆弾の最大の恐怖は『たとえ、生き残っても心身への人間破壊が、生涯続く』ということなのです。原爆の被害は人道上許されるものではなく、絶対悪と言わざるを得ません。もし核戦争になれば、広島型の何百倍もの爆発力により、勝者・敗者はなく、人類の滅亡は明白です」(2010年5月の米ニューヨークでの被爆証言から)

 米国への報復を誓う「軍国青年」が反核運動の旗手となった背景には、戦争が終わっても続いた放射線被害、そして自ら命を絶つことまで追い詰められた差別体験があった。

「放射線消す方法を人間は考えとらん」

坪井さんの戦後76年は原爆の後遺症との闘いの歴史でもありました。ポッドキャストでは自身の病状とアメリカへの思いを語った肉声を、武田記者の解説とともに聴けます。

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 「アメリカにごまかされとる」。1945(昭和20)年9月25日、広島県瀬戸内海に浮かぶ倉橋島(現・呉市)の実家で被爆から約50日ぶりに意識を回復した坪井さんは、母と大げんかした。「戦争は8月15日に日本の敗戦で終わった」「日本はアメリカ軍に占領された」。母の言葉は、瀕死(ひんし)のやけどを負いながら「敵討ち」を心の決めていた坪井さんにとって、受け入れられない事実だったからだ。

 「特攻隊に行かにゃいかんの…

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