第2回【新聞と戦争・アーカイブ】社論の転換:1 満州事変

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【2007年8月3日夕刊2面】

 その時、朝日新聞奉天通信局長の武内文彬(あやよし)は、風呂に入っていた。

 妻の叫び声がした。

 「アナタ電話です、国家の一大事ださうです、お風呂どころの騒ぎぢやないさうです……」(朝日新聞社編『満洲・上海事変全記』)

 1931年9月18日夜10時すぎ、満州(中国東北部)奉天(現瀋陽)郊外の柳条湖で、南満州鉄道の線路の一部が何者かによって爆破された。

 この柳条湖事件の発生を、武内は「その筋」からの電話で知った(『昭和史探訪1』)。

 現地の日本陸軍関東軍)は、爆破は中国軍の仕業だとして、「自衛行動」の名目でただちに兵を動かした。奉天市街を占領し、やがて満州全土へ侵出する。満州事変の勃発(ぼっぱつ)だった。

 武内が現地から発した一報は、19日午前7時発行の号外に載った。

 「三四百名の支那兵が満鉄巡察兵と衝突した結果つひに日支開戦を見るに至つたもので明(あきら)かに支那側の計画的行動であることが明瞭(めいりょう)となつた」

 おかしな記事だ。

 「明らかに……明瞭となった」という表現もさることながら、それがなぜ「支那側の計画的行動である」のか、根拠が何も書かれていない。

 午前、奉天総領事の林久治郎は、外相の幣原喜重郎にあてて「至急極秘」電を打つ。

 「今次ノ事件ハ全ク軍部ノ計画的行動ニ出(い)テタルモノト想像セラル」

 林は、爆破事件が関東軍の自作自演であることを見抜いていた。

 参謀本部第2課は同日、次の世論対策を起案した(防衛省防衛研究所史料から)。

 「各新聞首脳者を招き衷心を披瀝(ひれき)して諒解(りょうかい)を求む 要すれば黄白(こうはく)を散じ之(これ)を買収す」

 「黄白」とは、金銭の意味だが、実際に買収工作があったかどうかはわからない。

 武内は戦後の75年、テレビのインタビューにこう答えている(『昭和史探訪1』)。

 「満州事変というものが起こらなかったら日本はつぶれているんです」

 「やっぱり石原さんと志を同じうして満州事変をやったということは、非常な幸福であったと思うんですよ」

 「石原さん」とは、関東軍参謀として謀略を主導した石原莞爾のことだ。口ぶりからすると、記者活動を通じて事変の一翼を担ったと、武内は考えていたようだ。(敬称略)

    ◇

 満州事変は、その後の「戦争の時代」の幕開けだった。朝日新聞は社論を大きく転換させ、戦争協力に踏み込んでいく。このシリーズでは、社論転換の経緯と背景、反響を検証する。

連載新聞と戦争アーカイブ(全107回)

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