第17回【新聞と戦争・アーカイブ】社論の転換:16 その要因

有料会員記事

[PR]

【2007年8月24日夕刊3面】

 1931年9月18日夜、満鉄線が爆破される数時間前に、大阪・中之島の公会堂では「対支国民大会」が開かれていた。国粋大衆党などの主催で、「権益確保のため帝国威武の発動」を求め気勢を上げた。押し寄せた人々で会場は立錐(りっすい)の余地もなかった(9月19日付大阪朝日)。

 講師派遣の要請を受けて朝日新聞外報部の中平亮記者も登壇した。だが演説は中断される。「当時、朝日は“反軍部”の軟弱外交の主唱者とのレッテルをはられていましたので、中平氏が演壇に立つと、猛烈な野次(やじ)が飛び、遂(つい)に氏は立往生(たちおうじょう)」と取材していた和田斉は回想する(社内資料)。

 高まる対外強硬世論の攻撃に、朝日はさらされていた。だが大阪朝日の原田譲二編集総務は9月9日、国民感情への迎合を否定し、こう述べた。

 「販売上どれだけ有効であつても、国民斉(ひと)しく冷静を要すべき時に、これを煽動(せんどう)し感情を昂(たか)ぶらせ……るごときことは、私は朝日新聞の精神としてどうかと思ふ」(社内報)

 満鉄線爆破事件で事態は急変する。

 朝日新聞は日本軍の侵攻を「…

この記事は有料会員記事です。残り600文字有料会員になると続きをお読みいただけます。

連載新聞と戦争アーカイブ(全107回)

この連載の一覧を見る