第21回【新聞と戦争・アーカイブ】社論の転換:20 その後

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【2007年8月30日夕刊3面】

 満州での日本の行動は、各国の目にどう映ったのか。

 外務省が編纂(へんさん)した『国際事情』(1931年12月発行)によると、関東軍がいたく気にかけた海外新聞の論調には、次のようなものがあった。

 「日本軍の整然たる行動は充分(じゅうぶん)の準備ありしことを物語るも、夫(それ)が為(た)め必ずしも侵略的野心ありしとは断じ難く……」(「紐育(ニューヨーク)タイムス」9月22日)、「苟(いやし)くも一等国の軍隊が政府の命令の外にある如(ごと)きは吾人の考へ得ざる処(ところ)である」(「倫敦(ロンドン)タイムス」10月12日)。

 12月10日、国際連盟は、満州事変について調査委員会の設置を決議。28日、関東軍は錦州に進撃を開始する。

 関東軍参謀長の三宅光治は、陸軍省への書簡で、東京朝日、大阪毎日の両社へ感謝状を贈ることを要請した。防衛省防衛研究所に残る文書には、陸軍次官、杉山元の名で書かれた感謝状の下書きが添えられている。

 対外宣伝への協力のため朝日新聞から派遣された町田梓楼(しろう)は、敗戦後、雑誌の記事で当時を振り返っている。

 「関東軍の依嘱(いしょく)…

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